徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Blame

おはこんばんにちは。
紫野です。
前回、Effortというタイトルで、
実は嬉しくない言葉について長すぎるくらい書かせていただきました。
今日は、後半。

「頑張って」、が嫌いな理由。
これもまた批判殺到しそうな博打のような暴露です。


【頑張って】と言われて複雑な気持ちになるのは、無責任だなって感じるからです。
言うだけならタダってやつ。

言葉よりも欲しいものがあるからね。
そしてそれが結局のところ、
自分が至らないということに帰結してしまうからなんだよっていうことをこのブログでお伝え出来ればいいかなと思います。

去年のワンマン前とかは、
本当に必死でした。
目標動員数100人のうち、ノルマ50枚です。
最低ライン50枚で、
それを越えられなければ赤字だからです。
次の話も来なくなるからです。

私の周りには、心の底から「紫野」として活動することを応援してくれる人は家族含めて居ませんでした。
だから、
プライベートの交友関係には絶対に声をかけないと決めていました。
それもあって、

・本当に1から新規のファンを増やしていくこと
・ライバー時代のファンをの方を動員させること

がマストでした。

初めの1ヶ月半、今よりずっと自分に自信がなくて、歌もギターも全然下手で、
ただただがむしゃらになることしかできませんでした。
でも、曲の世界に没頭することはできなかった。
チケットは1枚も売れなくて、
人ひとりも止められない日々でした。

警察は当たり強いし、
酔っ払いには絡まれるし、
何この子、みたいな目で見られるし、
すごくしんどくて、
気丈に振る舞うって大変なんだなって、
その時初めて実感しました。

ライバー時代、
お世話になって今でも付き合いのある女性がいます。
先輩みたいなのに、お姉さんみたいな人です。
もともと年上の同性に懐きやすい私にとってはこれからも大切にしていきたい方なんですけど、
この前夕飯をご一緒した時に、

「私、感動してタダで帰ってく人嫌いやねん」

みたいなこと言ってて、すごく共感しました。

路上ライブって、特にそれが露骨なんです。

感動しました!
すごかったです!
よかったです!
ありがとうございました!

って感想をいって、100円1枚も出さずにルンルンと帰っていく人ばかり。

お金のかからない応援(SNS)すらもしてもらえないことがほとんどです。

挙句の果てにはこれ。

「頑張って」

トドメの一撃を刺されたような感覚すら覚えます。

私自身、
「自分」という商品に価値をつけて下さる方が全てだとは思ってないし、
投げ銭が当たり前だとも思いません。

でも、私たちが「ボランティア」するために這いつくばって音楽をしているわけでもないのも当然の話なんですよね。

もちろん、見ず知らずの間柄ですから、
そう簡単にお財布の紐をゆるめるとか、
なにかしらGiveとTakeが成り立つ関係になるようなことにはなることの方が難しいのは分かっています。

でも、「頑張って」の一言が、
私の心をこれでもかというほど殺していく。

あぁ、そっか、まだ足りないか。
上手く出来なかったか。
価値をつけてもらえるレベルですらないのか。

Effortでも書いた通り、
私たちが路上で生み出すものは過程ではなく、「結果」です。
日々の努力や、
誠意や、
私の作り出す空間や、
そういうものの全てが、
つまり、自分には価値がないのだという「結果」になってしまうということになるっていうことなんです。
ちょっと伝わりにくい話なんだけどね。

自分が至らないことを痛感して、
どうしようもなく負の感情に見舞われてしまいます

悔しいとか、
悲しいとか、

そういうシンプルな気持ちがやっぱり1番自分にのしかかるもので、

目の前のお客さんを満足させられなかったという事実が残ることで、「自分情けなっ」って思う。
「頑張って」って、
図らずともそういう言葉なんですよね。

でも、それはまだちょっとマシな方で、
自分と関わりのある人から言われる方がよっぽどしんどかったりするんです。
ないかもしれない「裏」の心を勝手に考えて、
疑心暗鬼になってしまうから。


「頑張って」
って友人や知人から言われるたびに、
「じゃあチケット買ってくれ」
って思ってました。
「尊敬してる」とか軽々しく言われる度に、
胡散臭いと思ってました。

正直今も思います。
薄っぺらいんです。
私に実力が足りないことは認めます。
頑張っているだけでは、
努力だけではうまくいかないこともわかっています。
そんな中でも、私の歌にチケット料金っていう価値を付けて頂けることが本当に嬉しくて、
それこそ「尊い」存在で、

だからこそ、LINEやDMで友人や知り合いから
「いつも頑張ってるの見て元気もらってる」
とか
「応援してるね」
とか言葉だけの応援をされても、
嬉しくありませんでした。
複雑でした。
言葉で完結する応援も、確かに嬉しい。
でも、それって、
ちょっと無責任な言葉だと思ったんですよね。
我関せず〜、みたいな。

口だけ上手いこと言ってない?
ってことなんです。
饒舌なメッセージを送ってくる人ほど、
実は目に見える形で応援する気なんてさらさらないんだなって、私はこの半年間で痛いほど思いました。

そんな事ないよって、
思う方もいると思います。
本当に、そんな事ないよって、言えますか?

変な話、
バイトもしくは普通に仕事してる人には高すぎないコスト、
ライブ本番は1ヶ月以上先、
特に季節性のイベントにも被らないし、
現地が無理ならオンラインOK、
当日無理なら2週間先までアーカイブあり

と、穴は全部潰してあるのに、
でもやっぱりなんか無理〜ってことは
そういうことなんです。
「お金出してまで応援したくない」
=
「私にはそれだけの価値がない」
ということになってしまうんですね。

友人に頼りたくなかったのは、
そうなるのが分かっていたからでした。
私が毎日その日の進捗をSNSで報告することによって、もしかしたら「他の人が買ってるなら行ってみてもいいかも」なんて思ってくれる人がいるかもしれないとも思ったけれど、
私にはそういう層の人達を動かすことも出来ませんでした。
でも毎日DMもLINEも同じような文面が送られてきます。

「私にはそういうのないから羨ましい」
「ほんとにすごいよ」
「めっちゃ尊敬してる」
「がんばってね!」
「応援してる!」

じゃあ、チケット買ってくれ。
心の底から真っ黒い感情が溢れてきて苦しかった。

オンラインチケットあるし、
遠方でも後日でも見れるよって。
日にちも先だよ、
その日ドンピシャで空いてないなんて、
ありえないよね、
って。

チケットを手に取ってくださった方が、
「頑張ってね」というのは「一緒に頑張ろう」っていう意味合いになると思うし、
私達も嬉しい。

でもね、
液晶越しに表情なく送られてくるメッセージは、私にとっては毒みたいなもので、
傷つくし、汚れるし、汚してしまうし、
削れる。
他人事みたい。


「(私はあなたのために時間もお金も使う気はさらさらないけど)頑張ってね」

なんていう風に聞こえるようになってしまいました。
切羽詰まると特にそう。
自分に余裕が無い時って、
ただでさえ無自覚に攻撃的になったり、
感情のコントロールが出来なかったりするでしょ?

こういう話は、割と
アーティストさんには通じる話なんだけどね、
お客さんからすると、正直イメージしにくい話だろうなって思ったりもします。
ごめんなさい。

目に見える形で応援するかしないかはもちろん個人の自由ですから、
強制するつもりもないし、
そんなことをすることも私たちのような人種にはできませんけれど。

でもね、
それなら「頑張れ」とか「応援してる」とか、軽々しく言わないでくれたらそれだけでいいんですよね。

「応援してるよ」が、
ただのアピールにしか思えなくなってしまうんです。
本当に嫌いになりそうに感じるレベルで信じられなくなることもあります。
もっと嫌な言い方をすると、
馬鹿にされている気がしてしまう。
「頑張れ」と言う言葉は、
時にすごく勇気をくれる言葉だけれど、
私たちが認識しているよりも薄っぺらくて、
すごく重たい言葉なんだってこと、
ぜひ考えてみてほしいなって思います。

私がいちばん嬉しかった「頑張れ」は、
高校3年になる前に大喧嘩をしてそのままだった友人が、ライブに来てくれた時でした。
前日に「明日行くね!」って突然連絡してきて、新幹線に乗ってバイト終わりに来てくれたんです。

紫野頑張れ

って。

冒頭でも話した通り、
プライベートの人間には声をかけませんでした。
両親を呼ぶことにしたのは、
80枚ほど売れた後でした。
ノルマやばいから来て、
なんて音楽やめさせたいと思ってる人達に言えないでしょ?笑

私は別に、
その子にも「ライブ来てくれないかな」なんて、言ったことはありませんでした。

もう話すこともないと思っていたけれど、
彼女は
自分の意志で、
時間を作って、
東京に来るために節約までして、
はるばる東京に来てくれたのです。
お手紙とお花も貰いました。
なんとありがたいことか。
私はその子の姿を見たときに、涙が出ました。
違う言葉のようにも感じました。

薄っぺらくない「頑張れ」でした。
心に響く「頑張れ」でした。

挑戦している人や努力がしている人が欲しい「頑張れ」は、
言われて嬉しい「頑張れ」は、
中身を伴う「頑張れ」なんです。

私も、
頑張れってあまり言わないようにしてます。
その人の誠意に対して私は責任取れないもん。

その代わり、

無理はしないで
気をつけて
楽しんで

とかそういう言葉を贈るようにしてます。
ささやかな言葉だけど、労りたいから。

「頑張れ」って言う時は、
「私も一緒に頑張るから、頑張ろう」
っていうニュアンスを含めるようにしてます。
相手が一方通行になる「頑張れ」は、
すごく寂しいよ。

皆さんは、
「頑張れ」っていう言葉の重み、
どう捉えますか?


紫野