徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

健康

ご無沙汰、しております。

最近はSNSすら見たり投稿したりする時間が十分にとれず、ひたすら曲を作り、練習をし、平日は無心で働きながら夜はすぐに寝てしまう生活を繰り返しています。

 

紫野です。

忘れてしまった方は思い出してください笑。

 

昨年の7月末、あまりの体調不良のため1ヶ月ほど静岡の実家に帰っており、

その際に子宮頸がんの予備軍であると言われ、その時はまだ治療などに至る段階ではないとのことだったので、警戒しながらもとりあえずは健康ですとブログに残しました。

 

あのブログに対する同性の方々からの反応は予想していたよりも大きく、

同級生の子が、今まで無視していたけれどHPVワクチンを受けに行かなきゃ行けないと思った、と

女性系の病気に関することは今の時点で何も無かったとしてもとても勇気のいる事だったよね、と寄り添ってくれる方々が本当にたくさんいて、心細さがすこし緩和されたように思います。

 

あれから、私は自分が女性であることに少しずつ不安を感じるようになりました。

毎月やってくる1週間も、

その度に薬漬けになる2日目も、

上手く歌えないステージの上にいることも、

自分が女だからだと思って憤りすら感じるけれど、子宮を無くしてしまおうかという選択は未だに浮かびません。

 

ですが実は、

この10月末にやはり子宮がすごく痛くなって、

全く仕事が手につかず職場で泣き崩れるほどだったので早退していろいろな検査を受けてきました。

身に覚えは無いけれど、性感染症も含めた検査を3週間にわたって受けて、今日やっと全ての結果が出揃いました。

結果は全て陰性でした。

よかった、けれど複雑です。

別の要因があるのかもしれないし。

今は何も無いけれど、

もっと体を大事にしなくちゃ。

 

仕事を早退して病院に向かう電車の中で、

今度こそなにかあるかもしれない、

最悪、女性としていられなくなるかもしれない、と嫌な想像ばかりしてたことを思い出しました。

不安だった。

すごく怖かったです。

その時に改めて自分の将来に向き合いました。

 

全然先の話だけど、

もし将来ご縁があって、

素敵な人と一緒になって、

私の体が大丈夫だったら、

私はお母さんになりたい。

だから、健康でいられて、

体が許してくれるならこの先も女性でいたいと思っています。

 

来年も健康でいられますように。

 

今年は目の手術もしていろいろとご心配をおかけしました。

嫌だったけど乗り越えられたよ、

たまに嬉しくない言葉も貰うけれどそれにもうまく対応できるようになりました。

 

いつも支えてくれる皆さん、ありがとうございます。

今年1年の健康に感謝しています。

RE:

おはこんばんにちは。

紫野、改めShino'viです。

 

先日、

2ndワンマンライブに暖かい愛を送って下さった皆様、本当にありがとうございました!

ライブ中にMCで「路上やめるね」、とサラーっと言ったまま、2週間も経っている…!!

ということで、今日は路上やめるね宣言の経緯について説明するブログを書いています。

 

---

「路上ライブやめようかなー、やめたいなー」

 

という気持ちは、登竜門よりもっと前、

去年の夏から密かに芽生えた気持ちです。

 

コロナの規制が緩まる少し前から、

東京には多くのミュージシャンが集まり出しました。

 

最初は遠征で、のちのち上京してきた人

ずっと我慢していて燻っていた人

思い出作りに来た大学生バンド

多くのファンを引連れてくる人

1人でぽつんと歌い続ける人

バズろうと必死になる人

路上出身のメジャーアーティスト

著名人の動画に乗れるかもしれないと希望を持つ人

 

今も街中がたくさんのミュージシャンで溢れています。

 

去年の冬から春先まで、

昼の時間ですら自分とダリさん、

たまにだれかがポツポツと居るくらいの路上だったのに、今は全然違う景色が広がっています。

 

路上ライブが「トレンド」化して、

または商用化されて。

 

音楽が絶えない陽気な町と言えば聞こえは言いけれど、私にとってはそうではありませんでした。

一言で現すなら「飽和している」という表現に行き着いた。

 

何年も路上ライブを続けてファンを増やす人も、

純粋に誰かに見つけて欲しくてそこに立つ人も、

大きな野望を持っている人も、

そして自分も、

ここにいることの意味がわからなくなりました。

 

考えるな考えるなと思いながら、

「【紫野が】、【私が】、ここにいなければならない理由ってあるんだろうか?」

と毎日毎分思っていた。

 

導き出した結論は、こうでした。

 

ー私じゃなくてもいい。

【私】が、求められているわけではない。

 

もちろん、今の私の周りには「紫野に会いたくて」路上ライブに足を運んでくれる方々も数知れずいます。

でも、9割のお客さんはただの通りすがり。

リクエストを聞いてくれれば誰でもいい。

 

私のことも、私の隣で歌う人のことも。

別に誰でもよかったんでしょう。

そこにいたから、時間があったから、

人との待ち合わせの目印にほんのちょっと、

立ち寄ってみただけ。

 

夢を追っているとか、

やりたいことがあるとか、

そんな事情には興味がないんだろう。

至極真っ当なことだと思います。

 

通りすがりの人に

「僕はプロ野球スターになりたいので応援してください!」

って言っても「そうか、すごいな、頑張れよ」と笑って言われるだけだもの。

 

 

ご想像の通り、私はいつも、

何でも深く考えすぎて止んだり、

言われたことを真に受けて病んだり、

というか何をされなくても勝手に病むので、

たった1年で終始お祭り状態になった新宿を見て、歌う前から萎えちゃう、みたいなこともたくさんあってですね。笑

 

初めて自分に限界が見えました。

 

もうこれ以上、進めない気がした。

何かを変えなければ、

変わらなければと思っていた時、

私を救ってくれた音楽があって、

「こうなりたい」と思いました。

 

その人みたいな曲を書きたい、のではなく

お金を払い、時間を作ってライブハウスに足を運んでくれるファンで会場が埋め尽くされるアーティストになりたいと思いました。

 

立ちたいステージが明確になりました。

作りたい音楽の方向性が決まりました。

伝えたいことが以前よりもクリアになりました。

 

今行かなければ一生、「路上ミュージシャン」で終わると確信した。

 

進むためには、自分から進路を変えて、

時には何かを捨てたり壊したりして、

土台を作り直さなければ。

 

そのために、ライブハウスで戦うことを決意しました。

マンボウみたいな野郎なので笑、

ライブハウスに出て、

いろんなことにぶちのめされるんだろう。

普通に不安だし、

今まで「路上(タダ)だったから」

その前提があったからたまの大きなライブくらい行ってやるかと、自分を応援してくれた人もたくさんいたんじゃないか、

その人たちが私のことを忘れてしまうかもしれないという恐怖もあります。

 

でもそれ以上に、自分には自信がある。

 

私の生の音楽に触れた人は、この先も着いてきてくれる。

これから出会う人にも、その時投じる音楽で

きっと私の渦に引き込める。

 

私はビジュアルは普通、

人によってはイマイチだと思うし、

オーラもないし、

技術も強かに言って中の下、

はっきりいって上手くないです。

 

古くから関わってくれる方々は、

上手くなった・成長したと言ってくれるけれど、

自分の求めるレベルはこんなものではないし、

正直、すべての路上ライブ・すべての箱ライブ、全部ふりかえって後悔しなかったものはひとつも無い。

 

朝も夜も夜中も練習して、

ここで止まっているのは私が世界を知らないから。

 

技術・世界観・言葉・メロディ

 

自分に足りないものは学び、盗めるようになりたい。

そして、私にとって必要なものに出会えるのが、ライブハウスでした。

自分を変えられる場所だと思った。

 

行き詰まりばかりで息詰まり、

音楽が楽しくないものになってしまうと不安になっていたけれど、

路上ライブはスパッとやめて新しいステージでまた1からやり直そうと思ったら毎日が刺激的。

 

今はもう本当に、ただただ音楽が楽しい。

ひたすら音楽が恋しい。

無我夢中という言葉に尽きます。

 

不甲斐ない自分を見つめる時間ですら愛おしく、

悔しくて流す涙すら乾いて欲しくない。

 

次にあなたに出会う時、

あなたの知っている私ではない。

そうあれるように、努力します。

 

そして私が見たかったものを見る。

作りたいものを作る。

届けたい人に届ける。

 

 

3.31のワンマンライブの写真を拝見したとき、

私の顔が生きていた。

イキイキして、のびのびして、

思い出に残るあの時間はずっと楽しかった。

音楽、私が続けているのは「生きて」いる実感ができるからなんです。

ライブハウスは私が生きるための希望を与えてくれる場所です。

 

ライブハウスに行こう。

路上には戻らない。

 

これは、私と、私の音楽に愛を注いでくれる人たちに向けてのお礼でもあります。

なんのストレスもない場所で、

私だけに集中して聞いてもらえるなんて、

幸せこの上ありません。

あなたも、楽しみだよね?

 

毎回のライブ、お楽しみに。

絶対に裏切りません。

そして変わらずにシノチャンと呼んでくれ、「'vi」は飾りなのでね。笑

 

これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

また次回。

Shino'vi

 

 

 

 

p.s.

君のことだから、この希望に満ち溢れた文面だけではすべてを表しきれていないだろう

 

と思ったそこのあなた、

「re: to core」を読んでください。

ただし、長いし、重いのでお気をつけて。

 

私のこの2年のすべてを書きました。

最初に出そうとしてたのはこっちなのに、字数が期末レポート張りにかさんじゃったのと、

重すぎて大々的に出せねぇ笑、

ということで存在だけここに残しておきますね笑

 

自己責任でお願いしますよ〜⤴︎

 

断捨離

おはこんばんにちは。

紫野です。

もう2月も後半に差し掛かりました。

もう既に師匠走り出してて草。

 

そういえば、「草」という若者言葉を覚えました。

正直チャラいし、なんだか印象悪いなと思っていましたがノリで口から出すとなかなか語呂がいい。

 

 

今月末に退去を控えた紫野は、

最近ちょくちょく八王子にある本当のお家に帰っています。

最寄り駅を突き止められてしまってからは

昼間に着替えを取りに行き、

夜は友人宅や交際相手の厄介になって、

という日々を繰り返していましたが、

(一応)卒業ということで、今のお部屋には、

挨拶をしなければなりません。

 

私は片付けが苦手です。

 

使わないのに買いたがり。

洗わないのにご飯を作りたがり。

洗濯ものもかなり溜めがち。

 

要らないものばっかり部屋に転がっていて、

 まんま「こびと」の歌詞やん、的なことを考えながら、自称断捨離王の友人に手伝ってもらっていました。

 

はるか昔、

まだ私が配信アプリをしていた頃、

誕生日祝いにファンの方々が送ってくださったプレゼントや、オフラインのライブに持ってきてくれた差し入れなど、

全部残っていて、ひとつひとつ見る度にこれはあの時だれが持ってきてくれたもので、

と思い出して浸っていました。

 

ホワイトムスクっぽいのが好きかな

と言った私に送ってくれたルームフレグランスの瓶が入っていた「箱」とか、

ライブに持ってきてくれたチョコレートの空箱とか、

プレゼントを包んであった包装紙やリボンも全部取って溜めてあって、

ドン引きされてしまったのはちょっと悲しい。

 

「本当に捨てられないの」

と言ったら

「 本当にそうだね」

と笑われました。

 

思い出の断捨離は得意だと思っていました。

 

4年間住んだ町だけれど、

正直、なんの情も慈しみも親しみもないと思っていました。

 

大学も、なんだかんだ一生懸命やったし、

楽しくなかったわけではないけれど、

学内で何かがしたくて行った大学ではなかったし。

 

ただただ、静岡の田舎を出て、

音楽をしたくて、

「上京」がしたくて、

そのために入った大学、

受かったから住んだ町。

 

友人も後輩も先輩もいない、

遊びに行ったことも、誘われたこともない。

 

大学、バイト、音楽、

大学、バイト、音楽、

大学、バイト、音楽、

 

私の4年間は、

ほとんど独りで過ごした4年間だったから、

こんな町を去るとて、

何を名残惜しく思うのか。

 

そんな風に考えていました。

 

 

 

引越し、と言っても、

今後に少しアテがある私はもう退去だけにして、

お部屋を空っぽにして返すだけにしました。

 

4年前、大学の生協から届いた生活必需品のカタログを見て母が用意してくれた冷蔵庫や、

電子レンジや、洗濯機とも、

別れることにしました。

 

でも家電って、捨てるのにもお金がかかるんです。

リサイクル法ってやつで、

下らない法律だなァと思ったんですが、

捨てるより売れるなら売るかと思ったら、

値段もつかなくて。

 

どう頑張っても想像以上のコストがかかってしまうから、はぁ、参ったなぁー

と、4年間通い続けた定食屋さんに行って、

お母さんに愚痴をこぼしていたら、

 

え!要らないの!もったいない!

うちで引き取らせて!

 

と笑。

 

今日引き取って頂きました。

お店で冷蔵庫や洗濯機や電子レンジ、掃除機、全部使うみたいで。

お礼までしてくださって。

1年生の夏、まだお金の使い方も安定しないうちに破格の安さ・美味しさだからと通いつめ、毎月の終わりには講座の残高を見て白目をむくくらい通っていたお店です。

 

お店が長期休業する時は、

キュウリやナスや、

とにかく近所の畑で取れたらしい新鮮な野菜をおすそ分けしていただいたり、

自家製のシソジュースを飲ませてくれたり、

ファミマのチーズメンチカツにハマってるんだと話をしたら、

次の日の日替わり定食のおかずになって出てきて、「メニュー考案してくれてありがとう」とケーキをサービスしてくれたり。

4年間のうちでできた好きな人の話をニコニコしながら聞いてくれるお母さんと盛り上がったり。

 

音楽のことも、応援してくれました。

サイン色紙も書かせていただいたりもしたし、

家族ぐるみでお世話になっていて、

うちの両親も大好きなお店です。

 

あのお店に行くとね、

すごく気持ちがほっとするんです。

お味噌汁の味や、

ふっくらしたご飯や、

小鉢や煮物の味が、

どことなく実家と似ていて。

 

スパイスから作っている本格的なカレーよりも、普通のおうちで作られるような、

あのお店の普通のカレーが何よりも好きでした。

 

いつも、カウンターのど真ん中で食べるの。

 

お母さんの顔を見て喋りながら食べて、

バイトさんとも仲良くなって、

お父さんやお兄さんもいつも優しくて、

家族みたいな場所なんです。

 

遠くなったら滅多に来れなくなるかもしれないけど、またおいで、と。

そう言って今日、挨拶をしました。

 

 

そういえば、

就職するのか内定取り消すのか

早く判断した方がいい、

とにかく早くしろ

と言ってくれたラーメン屋さんには顔を出せなかった。

 

私の夢を笑わないで居てくれた人です。

関さん、っていう人なんだけれど。

お店の壁にズラっとスポーツ選手のサイン色紙が置いてあって、

そのどれもが私の通う大学や、ここら一帯の大学の部活の子達のサイン色紙です。

プロになって活躍する方々、

芸能の道に進んだ人もいます。

 

俺と仲良くなった子はみんな有名になる

 

といって、有名男性アイドルの名前も話に持ち上がったことがありました。

深夜3:00までやってるお店で、

お店の中で「歌ってよ」と言われて歌ったりして、さらにはチップといってその日のラーメン代が帰ってきたり。笑

路上ライブを終えて終電を降り、

空いているお店はほとんどそこだけだったし、

「今日はどこまで行ったんだ」

「最近どうなの」

と、ひたすら麺を茹で続ける関さんと、

あんなことがあったそんなことがあったと

愚痴や弱音を吐けるのがすごく救いでした。

 

オススメは味噌。

背脂多めのスープです。

替え玉の代わりに、いつももやしを貰っていました。

味たまは必須だよ。

麺もストレートの細麺で、もう本当にかすれた喉に潤いが蘇るわけです。

ワンオペでラーメンをひたすら茹でている関さんを見るのも好きでした。

 

関さんが何とかなるよって言うと、

その日の成果がどれだけ出ていなくても頑張れるんです。

 

あとは、近所のサイゼリヤでお昼に働いている女性がいて、接客が本当に素敵な人だと思って手紙を書いたこともありました。

本当に仕事に誠実に向き合う人、というか

ひとつひとつが本当に丁寧で、

ファミレスでこんなに良くしてくれる人は初めてだと思う。

退去立ち会いの日、きっともうこのサイゼに来ることは無いだろうと思ってお店に入ったらやっぱり今日もいて。

目が痒すぎてコンタクトを入れておらず、何も見えなかったけれど、やっぱりあの安心する声がしました。

 

 

彼女の接客には「公平性」が見える。

 

通っている人、

学生、

知り合い、

 

来店者には色々な人がいるけれど、

彼女の対応と仕事ぶりはいつでも全く変わらない。

誰に対しても丁寧で誠実だからこそ安心してお店を利用できるんです。

私の考えすぎ?笑 かもしれないけれど、

いつも背筋がしゃんと伸びていて、

朗らかな声で、

ひとつひとつの言葉をはっきり伝えてくれる彼女のいるここのサイゼリヤが私は大好きだった。

 

 

そしてスタジオ。

学生料金で使わせていただいていたので、

格安すぎていつも驚愕していました。

地域ぐるみのイベントステージやライブハウスに紹介して頂いたり、

ギターの弦はいつも張ってもらっていたし、

音が変だと思った時は楽器屋さんより先に持って行って直してもらうこともありました。

 

いつも見てるよ、

体に気をつけてね、

 

と、スタジオにあまり通えなくなった私にも変わらない愛情を注いでくれるご夫婦でした。

病気になった時も、

入院があけてから顔を出した時も、

路上ライブばかりで1ヶ月以上立ち寄れなかった時も、

変わらない暖かさで包んでくれた2人です。

京王堀之内timeを紹介してくれたのもこのスタジオのお父さんでした。

 

音楽が好きで、やりたいからやる。

なんの制限も縛りもストレスもなく、

音楽が好きな人がステージに立てる素敵なライブハウス。

私もtimeに出させてもらう時は、

ノルマも集客も物販も、そういうストレスになりうるものを考えることなく、

ただただ「楽しい」と思って歌うことが出来ていたと思います。

 

ハルオさんとTomomiさんとお2人のお子さんと、

ハウスで出会う素敵なミュージシャンたち。

ライブハウスの裏側って意外と派閥や内輪が出来ていてギスギスしていたりするんだけど、

timeはいつも和気あいあいとしていて、

余裕がある人が多いんですよね。

大人が多いからって言うのもあるかもしれないけれど、だからこそいい意味で人に甘えることが出来る空間でした。

 

同じ歳頃の女の子たちが集まるライブハウスは殺伐としてて疲れてしまうから、

たまにここで音楽の息抜きをする。

 

ほっ、とした気持ちで歌を歌う。

 

「私」が呼吸をして、純粋に歌が好きな自分を思い出す、そんな場所。

 

 

 

こんな町を去る、とて。

なんの情もない。

 

そう思っていたけれど、

この街で得たものは、卒業してしまえばほとんど連絡すらとらなくなる学生同士の繋がりなんかよりももっと太くて丈夫な出会いでした。

この街で、実家よりもホッとできる場所を見つけ、

自分で作らずとも美味しいご飯を食べたり

今日こんなことがあったー

好きな人がー

と話をできる人がいて、

第2、第3の親ができ、

たくさんのミュージシャンと繋がりを作ってもらい、

「またおいで」と気にかけてくれる場所がある。

 

こんな大学、

なんで入ったんだろう。

きっとこの4年が人生最大の無駄な時間になる。

そんなふうに思っていたけれど、

1年生の夏休みには完全に大学辞めたいとばかり考えるようになっていたけれど、

この4年でこの街に住んでいてよかったと、

そう思うことが出来ました。

 

要らないものはたくさんあるけれど

断捨離したくないものもたくさんあって、

 

そして私の音楽はここから始まったんだと思います。

ここで出会った人たちが

私と、私の音楽を一緒に作ってくれたんだと思います。

私が欲しかった高校生の夏は思っていたものと違っていたけれど、

私がここで生きた4年間は、まちがいなく他の誰にも得られない、私だけの経験です。

 

 

またここに戻ってきたら、

あの定食屋さんにも

ラーメン屋さんにも

スタジオにもライブハウスにも

顔を出そう。

ただいま、を受け入れてくれる場所があることに幸せを感じるこの頃です。

 

 

また次回。

 

紫野

 

 

p.s.

お世話になった大事な場所を紹介するね。

 

:定食・信年

https://instagram.com/shinnnen1987?igshid=YmMyMTA2M2Y=

→私のサインがあります。笑

 

:ラーメン・にんにくや堀之内

https://instagram.com/ninnikuyaseki?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

:サイゼリヤhttps://maps.app.goo.gl/UAU79TixuqAPxh8LA?g_st=ic

 

:Pandkey Studio

https://instagram.com/pandkey_studio?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

:京王堀之内time Tokyo

https://twitter.com/timetokyo?s=21&t=lAm4qjqG0F26o1ExaTDCVg

 

気分がいいので写真も載せちゃう。

駅から家まで30分くらいかかるんだけど、

行きも帰りもこの川沿いを通っていました。

夕方は夕焼けがすごく綺麗で、

夜は星がよく見えて、遠くでモノレールが光っていた。

夜中にこの河川敷で練習もしてたなそういえば。

夏になると夜中にタバコをふかしながら散歩したり、ラグビー部の寮生の男の子たちが一緒に聞いてくれて、応援してもらっていた。

楽しかった。

友達や恋人が居なくても楽しかった。

ここで歌うのが好きだったなぁ。

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liner notes 蜥蜴

とかげって、脱皮したあとにね、

自分がそこにいたことを敵に知られないようにするために、
美味しくないけど食べるんだって、
自分の皮。

賢いね。

 

 

でもあの頃の私は

あなたが私の皮を食べてしまって

消化してしまって

そして跡形もなく消しさってしまって、

 

私がそこにいたことを揉み消すような、

そんな風に扱われるのが嫌で仕方がなかった。

 

私を忘れるなんて許せないし、許さない。

 

私がここにいた痕跡は消していかないし

あなたがここにいたことも忘れ去らないし

いっそ、至る所に毒でも撒いてやりたくて。

 

私を消し去ろうとしたら

痛い目見るよ、

 

なんて。

 

 

蜥蜴

 

time

おはこんばんにちは。

紫野です。

最近また更新ができていなかったので、

今日は、皆が安心して読めるお話がしたいと思って、帰り道に誰も通らない路地を通ってブログを書いています。

 

別にこれと言って取り留めもない話がしたくなることってあるよね。

 

私は、路上ライブの間、

いつも瓶を置いています。

 

私の歌に価値をつけて欲しい。

 

その一心で、瓶を置いています。

何も言わないし、何も書かないけれど、

中身が寂しいことがあまりなかったのは、

本当に恵まれていると思う。

 

お金には、いろいろな種類があります。

 

小銭は持ちたくないからと、

「処分」のように投げ入れられる一円玉、

少ないけどとヘラヘラしながら10円玉を入れてくれる人、

ご縁があるようにと、

やはり笑いながら五円玉を入れてくれる人、

頑張って、と万札を入れてくれる人、

何かと大変だからといつも1000円札を入れてくれる人。

 

私の持っている瓶の中にはいつも、

いろいろなお金が入っています。

 

うまい棒1本も買えない金額を見せびらかし、

バカにしたように笑いながら入れてもらうお金も、

酔っ払った勢いで冷やかされながら入れてもらうお金も、

毎回歌ってくれてありがとうと入れてもらうお金も、

初めて見たけど感動した、

ライブには行けないけど頑張って欲しいと言われるお金も、

傍から見たらただただ、私の収入となるものです。

 

 

あるイベンターの方から、

路上ライブでチップを貰う人は物乞いや乞食と同類だと思うんです僕は。

と言われたことがあって、

悔しいという旨のブログを書いたことがあります。

 

私は、自分の学費を奨学金を借りずに自分で払っているので、

惨めでも乞食と言われても路上ライブに瓶を置きます。

 

実は、9月までアルバイトをしていました。

一応学生だから、親の許可も出ないし、

年間に稼げるお金は103万円どころか、

地方住民税の関係で90万円未満。

 

半年にかかる学費は大体50万。

使うお金は、それ以外にも沢山あるから、

9月までで私の稼げるお金はカンストし、年末まで休職を決断、

その後はご存知の通り、路上ライブで頂いたお金を食費や活動費・学費貯金に回しています。

 

「頂く」立場になると、

相手の感情が情けや同情でも、

卑しいものを見るような表情をしていようが、

バカにされていようが、

そんなお金は要らないなどと言えません。

悔しいけど、

情けないけど、

その1円で、100円で、帰りにコンビニに行ってご飯を食べる私は、

紛れもなくその人に生かされていたから。

 

ご飯は毎日1食。

酷い時は炊飯器1合、塩や常駐のふりかけだけで食べました。

もはや、電気もガスも水も、調味料すら買えないことがありました。

 

友達は就活を終わらせ、

大学生最後の夏休みを満喫したり

卒業旅行に行ったり、

お金も時間も沢山使って、

いろいろしていました。

 

きっと計画を立てた時から貯金をしたり

短期間で適度にバイトを増やしたりしたんだろうな、

大学生してるなぁ、なんて思ったり。

 

先輩や友達に、学費はどうしてるの?

と聞くと、

 

もちろん奨学金を4年分だよ

という人もいたけれど、

 

うちは親が全部払ってくれるから

 

と答える人が多くて、

お金持ちなんだなぁと思ったり。

 

そういう人って、実家暮らしのことも多くて

お家に帰ったらご飯ができていて、

お風呂も湧いていて、

なけなしのお金で引っ越してきてから買ったニトリで1万円しないソファベットや、

ダンボールを敷いて寝たことなんてないんだろうな。

今の暮らしがどれだけ幸せなんだろう。

 

妬む気持ちは全くないし、

生まれた家庭も恨んでいない。

むしろうちは裕福な方だと思う。

高卒の両親だけど年収で言えば、

大企業で長く働き、周りからの人望や信頼に篤い父だけでおそらく国民平均年収の2.5倍はあるだろうし、

節約家の母もパートをしている。

 

私にお金が無いのは、

奨学金を借りずに学費を払いたいから、

ただそれだけ。

それか、夢を食いものにするような人々に騙されて払ったお金が多かっただけ。

高い授業料だった。

 

音楽に絞ったあと、

ご飯がおにぎり一個しか食べられなかった頃に比べると、

今は夜中にラーメンしたり

よくしてもらっている定食屋さんで毎日日替わり定食を食べたりできている分、

本当に幸せだと思います。

ふかふかのベッドも置けるようになった。

 

12月後半、

連日、徹夜で書いた卒論を出したその次の日から

フルタイムで復職をしたんです。

 

「紫野」の周りには、

音楽だけで生計を立てたいんだ

と言っている人がいたり、

実際にそうした生活をしていたり、

もしくはバイトもサラリーマンも本当に続かない・できない、

だから音楽やるんだ。

好きなことして食べてくんだ。

そういう人がとても多いです。

まぁとにかくみんなガッツがすごい。 

中にはバイトするなんてダサいっていう人もいます。

だけどたまに思う。

意地を張る必要はないのでは、と。

 

毎日ガッツリじゃなくても、

バイトをして働くことって別にカッコ悪くない。

 

きっと私と同じように音楽を志している人が住めるお部屋はたかが知れているから、

大体相場は8万円、

スマホ1万円、

水光熱費で2万ちょい

だとしても11万円。

家賃光熱費が払える分だけ、

バイトで稼いで活動費は音楽で稼ぐ。

 

別にこれって、カッコ悪くない。

音楽1本にしたいけれど、現実的に無理だから副業を選ぶ。

これって、ダサいことなのだろうか。

 

 

今日食うものにすら使えるお金が無いと、

何も出来ないどころか

心もやせ細ってしまう。

 

私のような出来損ないでも働かせてくれる職場があるということはとても幸せです。

 

「夢がある人って、全然いないよ。

皆働いてるだけ。

目標がある人はそれだけですごいんだよ」

 

そう言ってくれた上司がいる私はとても恵まれています。

 

「人には向き不向きがあって、

それぞれができることをすればいい。

紫野がやっている作業はすごく難しいものでも

すごく簡単なものでもないけれど、

誰かがやらなければならない仕事であることは代わりはなくて、

そういう地味な作業をきちんとこなしてくれて実はすごく助かっているんだよ」

 

こう言ってくれる人が自分の上司で本当に良かったと思う。

 

じゃなきゃ2年も今の仕事は続いていない。

復職した時も、「おかえり」と言ってくれました。

こういう人のために、私は働いているのだと思う。

本来は音楽だけで稼ぎたいための時間。

この職場に9-18時、もしくは21時をすぎても尽くせる理由。

 

 

 

早く年が明けて欲しかった。

働くのは好き。

時給がある世界。

 

時間が私を裏切らない。

ニコニコして、

好きな曲をしたいだけリクエストして、

おだてるだけおだてて1円どころか、

フォローすらしないでゲラゲラ笑いながら過ぎ去っていく人たちとは違う。

 

働いた分だけ、「ありがとう」が対価として返ってくる世界。

 

 

始める前に、

今日はチケット売れるだろうか、

自分に価値はつくだろうか、

そもそも歌い切れるだろうか、

人は止まるだろうか。

上手くできるだろうか。

来てくれる人が満足して、

「今日も足を運んで良かったと思える音楽が出来るだろうか。」

 

そんな不安がない世界。

 

働くのはやっぱり好き。

成果を出したらバイトでも昇給できる。

 

でも、私はワガママです。

復職するとそれはそれで結構辛い。

 

7:00に起き
8:00に電車
9:0から18:00まで働き
19(20):00に帰宅し
1時間後に路上ライブ

 

電車の中では朝も夜も動画編集、

YouTubeSNSの投稿を整理分析し、

息抜きの料理なんてしたら3:00。

 

何も辛くないのは心だけ。

身体が言うことを聞かなくなってくると、

歳をとったなと苦笑いするしかなくなるものです。


そういう生活を実は12月の後半から平日は毎日送っている。
至って普通の暮らし。

一般的な社会人が、

朝起きて、

仕事に行き、

アフター5を資格勉強なり趣味なり、

人付き合いなりに使い、

もしくは副業をして、

夜はお酒を飲んで眠るのと同じ暮らし。

 

疲れは倍増、
自炊は出来ないけど
もともと働くのは好きだから苦ではない。

 

ただ、もう少し自分のスペックが上がれば
音楽もっと頑張れる。

 

1日が30時間あったらな

 

なんて誰もが思うことをこれでもかと思う程深刻に考える始末です。

 

足りないから。

私には時間がいくらあっても、

自分を褒めてあげられるだけの努力をできている自信がありません。

 

だけど、期限は必ずやってくる。

自分で決めた、リミット。

 

「○○歳までに花が開かなかったら、

ギターはもう弾かない。」

 

自分が潰れる心配より、

音楽を諦めなければならない心配の方が勝るからこそ、

寝ている時間がもったいない。

 

時間が止まればいいのに。

私は出来が悪いのに欲張りで、

仕事も音楽もちゃんとしたいから、

24時間ではやっていけない。

 

もっと出会いたい人や言葉や感情があるのに、

時間というのはどんな男の人よりも残酷だと思う。

 

今日もまた終わってしまう。

 

 

time

 

また次回。

wanna be

おはこんばんにちは。

紫野です。

 

去年の11月辺りから、ストレスフルなことが多くて、1つ終わる度にこうして消化するためのブログを書いている気がします。

 

まぁ、今回のことはまだ正直ちゃんと解決してないんですがね…笑

だから今回、終わらせたいと思って。

きっとこのブログもその人は読んでいるはずだから。

 

最近、というか始めた頃から、

同僚や、他のアーティストさんのファンの方にこう言われることが多いんです。

 

【紫野ちゃんって、何でそんなにいつも困らされてるの?】

 

まぁ、これはなるべくオブラートに包んだ私なりの意訳なんですが、

困らせられることは確かに多いです。

 

この前ブログで告白したみたいに、

非常識な時間に支離滅裂な改行なしの長文メールが毎日送られてきて、睡眠不足や過食になったり、

改札前で謎のハイタッチという名の儀式を毎日迫られたり、

つい先日Twitterで出したお願いも、

そういう類のものでした。

 

毎回毎回、

こんな人がいて、こんなことをされていて、

こんなふうに困っている。

 

…同じような経験はある?

…どうやって対処した?

 

こんな風にお決まりの知人に連絡をして、

毎回毎回心配をされています。

 

気が付きたくなかったけれど、

私の周りに私を困らせてくる人が多いのは、

 

それはきっと、私に原因があるんです。

 

こんなことにはもう何ヶ月も前から気がついていました。

でも、事態を改善する努力をしてこなかったんだと思う。

 

いつも誰かに、

困っている

助けて欲しい

どうすればいい

と、ただただ相談して愚痴をこぼして終わってしまうのです。

 

それはどうしてか。

 

私には、覚悟がなかったんだと思います。

気が付かないうちに、持っていたかもしれない覚悟を私の中から消していたのだと思います。

 

何に対する覚悟だと思いますか?

【音楽で飯を食っていくんだ!】

というものではありません。

 

私に足りなかったものは、

私が私を貫き、

言いたいことを言い、

きっぱりと拒否・拒絶・否定し、

私が自分を守るために【人を傷つける】覚悟です。

 

 

 

あなたは優しすぎる。

 

 

 

そう言われることが増えた1年でした。

 

路上ライブなんかやってるから、

心無い言葉を色んな人に吐かれたり、

大事な道具を蹴られたり、

瓶の中のお金を盗まれたり、

看板を踏んで壊されたり、

誹謗中傷のコメントももちろん、

たくさん見てきました。

その度に優しい誰かが、「大丈夫?」と言って助けてくれた。

 

蹴り飛ばされた瓶から飛び出た小銭を、

追いかけて拾って、

瓶を直して中にまたお金を戻してくれるような、見知らぬ人に親切にして頂くことが多かったです。

 

心無い言葉や、理不尽な暴力や破壊行為に、

泣きそうな顔をして唇を噛む自分の周りで、

私を守ろうとしてくれる人が沢山居た。

 

私はその人たちを大事にしたいと思いました。

 

そして、私がマスクの下の素顔も、

名前も仕事も知らない黒い塊に理不尽に傷つけられてきたその経験が、

私の尖っていた性格や、

悪かった言葉選びや、

とにかく無造作に誰かを傷つけていたかもしれない部分や、

良くも悪くも好き放題、自分の言いたいことをスパッと口に出す私の性格を

逆に丸くしてくれたんだと思います。

 

自分が誰かに傷つけられた経験が増えて、

私は人に優しくなりたいと思いました。

優しければいいと思っていた。

 

…嫌だ、と思っても。

強く言えなかった。

 

…本当に無理、と思っても、

分かってくれると信じていた。

 

プライベートを侵害されても、

笑って注意すれば、軽く釘をさしておけばいいと思っていた。

 

誰かに守ってもらえることが当たり前になってきて、

親身に相談や愚痴に付き合ってくれる誰かが当たり前のように傍にいて、

そして、そういう人たちが1人でも自分の周りから離れるのが怖くて、

言いたい事も言えない気弱な自分になっていました。

 

でも、今回のプライベートでの遭遇があまりにもショックで、

別の日の別のライブにもその人がいたということを知人から聞いて、怖くなりました。

いつものように、

 

今やばいんだ、

どうしたらいいか分からないの。

ちょっと話聞いてくれない?

 

と可哀想な自分を知人に押し出して話を聞いてもらっていたら、

1番古い付き合いの1番頼りにしている女性から言われたんです。

 

あなたは、優しい自分が好きなんだ、と。

変わろうとしたことはあるのか、と。

 

考えたことは無かったけれど、

心臓をギュッと握られた気がしました。

 

優しければいいと思っていたし、

いつも笑って流すばかりの自分を思い出しました。

 

その人は続けてこう言いました。

 

大人になってからの「優しい」は

褒め言葉じゃないからね。

それは、舐められてるってことなんだよ。

 

と教えてくれたんです。

納得しました。

私、舐められてたんだ。

 

嫌がったら、

不快に思ったと言えば、

きっと分かってくれる、やめてくれる

と勝手に買い被って、

きちんと伝える努力をしていませんでした。

 

彼女はまた言いました。

 

「自分の言いたいことを伝えるということは、

誰かを傷つけることなんだよ。」

 

その一言がずっと忘れられません。

 

誰も傷つかなければいい

傷ついて欲しくない

 

だって応援して欲しいから

 

 

結局私が持っていた優しさは、

自分の利益のための優しさで、

使い方を間違えたから、

今回のように私の首を絞めていたんだと気が付かせてもらったんです。

 

ショックだったと、

なんであの場にいたんだと、

二度としないでくれ。

 

そうツイートした時、

もう1人相談していたバンドマンの方から、

「よくいった」と連絡が来ました。

 

でも、私は不安で、

怖くなってまた結局、

私が我慢すればよかったのかも、

と思ってしまった。

 

相変わらず彼は、何を思ってのことか

まだ、毎日路上ライブを見に来てくれます。

でも私はどうしたらいいか分かりません。

正直、もうどう接したらいいかこれからも分からない気がする。

もう、お守りではなくなってしまった。

 

今まで公にしていませんでしたが、

上野駅でヤクザを名乗る男性に恐喝された後、

心配で駆けつけてきてくれたことがきっかけで交際を始めた相手がいます。

私のことを応援してくれている人のほとんどが、

私の【音楽】を気に入って応援してくれていると、私はそう感じているので

ここで打ち明けることにします。

 

あの日、私はその交際相手とライブハウスを訪れていました。

私が好きなアーティストを、

相手も気に入ってくれて、

生の彼女は本当にすごいんだから!

一緒に行くの楽しみだね。

私にとっては年明け、そして祖父の葬儀が終わった丁度、週末で、

さぁ今日でもう泣くのはおしまいにするんだ、

明日から戦うんだ、

そう思って楽しみにしていた日だったんです。

 

2人で待ち合わせをして、

ワクワクしながら会場に入っていました。

でも一瞬で壊れてしまった。

 

「まさか、とは思うけど、来ないよね」

だってこの前、来ないでねって言ったし。

【だめなの?】って聞き返されたことが気がかりでしたが、

信じていました。

 

私が感じた恐怖感や不安感や、

プライベートをぶち壊されたショックや怒りは忘れられません。

 

ツイートで「やめてほしい」と訴えたあと、

その次の日の路上ライブにやってきた彼を見て、

迷いに迷いました。

 

よくない、

これがまたなにかトラブルに発展してしまうかもしれないと思いながら、

「対応しない」というボタンを押したんです。

 

信頼のおける人に「お願い、そばにいて」と頼み込み、彼に背を向けてしまった。

 

確かに、謝らなくていいと言えど、

私はずっと怒っています。

だけど、

 

除け者にしたかった、

とか

居ないものとして扱う、

とか

そういう風にしたかった訳では無いけれど、

そんな中で【対応しない】というボタンを押した私は、間違っていたと思う。

 

こういう事態に上手く対応できるほどの経験を持っていないという言い訳をしたいわけだけれど、

もしれこれが私に必要な覚悟だったなら、

この覚悟は持てない、と思います。

 

だから多分、私が持つべき覚悟はもっと別のものなんてす。

私が昨日と今日とった行動は、

ただただ相手を傷つけただけで、決して良くない行動です。

それは、ごめんなさい。

 

だけど、私はあなたを許すことは出来ない。

時間が経っても、

プレゼントをもらっても、

お金を積まれても、

誰もいない路上ライブを最後まで見てくれたとしても、

もう私にとってのお守りではありません。

私を困らせるようなことをする人はファンと認めることはできないから。

 

どのブログでも書いているけれど、

私は私を大事にしてくれる人のことを大事にしたい。

 

自己満足の応援は要りません。

 

この発言こそが、

私に必要だった、「人を傷つけてでも自分を貫く覚悟」の証です。

言いたいことを言う覚悟なんです。

こんなに辛くて重いものなんだなと感じます。

考えや気持ちを伝えるって、

だからこんなに難しいんです。

 

少し前まで、自分の至らなさ・弱さを認められるようになった自分が誇らしかった。

 

でも本当は、私たちは弱いだけではやっぱりダメで、私は私のために強くならないと。

きっとこれを読んでいる誰かも。

 

私たちは、まず【自分】あってこその、

自分のための自分でいなくてはならない。

 

そう思います。

 

それが、私のためでもあり、

私を心の底から応援してくれる善良なファンの方のためにもなる。

 

強さの中に弱さを、

弱さの中には芯を。

 

それが私のなりたい姿で、

私のなるべき、変わっていくべき姿なんです。

 

 

また次回。

 

紫野

Direction

おはこんばんにちは。

紫野です。

お元気ですか皆さん。

 

今日は、

正式に今後の活動方針について公表するべくブログを書いています。

 

去年の5月、

突然舞い込んできたワンマンライブの企画に2つ返事で挑戦することを決め、

8月末にはライバー生活に終止符を打ち、

再上京し、ストリートという戦場に本格的に立ちました。

12/18の1stワンマンライブ「はじめの一歩」は未熟ながらも目標チケット枚数100枚を超えて、113名の方にお越しいただき、夢のような時間を過ごすことができました。

応援してくれた皆さん、本当にありがとう。

 

気がついたら8月どころか9月も一瞬で通り過ぎ、路上ライブもとい音楽活動を初めてから1年と3ヶ月、です。

 

約400日でものすごい数の人、

苦難と、

希望に出会ったと思います。

 

昨年は、100人ワンマン成功者の集い、的なブッキングライブ「登竜門」に出させていただくことになって、去年の目指せなかった120人動員を目指しましたが、

目標を撤廃する旨を表明し、

私の気持ちはついに限界を迎えてしまったわけです。

 

1度自分で立てた目標から退くって、

情けないしかっこ悪いし、

ダサくて、

みっともなくて、

恥ずかしかった。

 

何より悔しくて、

文章を打ちながら、

そして公開したあとも泣きじゃくって、

一晩中泣き明かしました。

 

なにが限界?

 

そうですね、一言で言うなら

 

疲れちゃった。

 

ですね。

 

文字通り、【毎日】やってきたんです。

ストリートも、

夜中の練習も、

日中の制作も、

身を粉にして取り組んできました。

必死だったから。

勉強もちゃんとやりました。

なんだかんだ、それまでは単位も全て取れていたし。

時間もお金も余裕が無い中でよくやってきたなぁって思います。

学費を払うのに必死で、

音楽に投資できるお金はすっからかん、

貯金もなし、

扶養制限まであと4万円なんという状態で、

それでも何とかせねばと思っているうちに私の収入源は音楽だけになりました。

 

去年の夏から11月までの間は本当に追い詰められていたんです。

 

1文字も書くどころか本すら探せていない卒論。

子宮頸がん予備軍になってから続けている薬。

卵巣嚢腫によって上がった不妊の可能性。

夢を追っているのは尊敬してるけれど、と言って離れていった恋人。

気付かない間にインスタに上がっていた学部の友達のディズニー写真。

頼れない実家。

実はずっと先延ばしにしていた内定承諾。

路上ライブのトレンド化。

売れないチケット。

空っぽのチップボトル。

 

人生山あり谷あり、

という言葉は本当にその通りで、

一昨年が山なら今年はとんでもない下り坂です。

いいことよりも嫌なことの方が目について、

見たくないものが増えました。

 

人のいい所ばかりが見えて、

私の悪い所ばかりが強く光って毎日本当に辛かったし、

ストリートを始める時にものすごく心臓がバクバクするようになりました。

嫌な緊張ってやつです。

 

そこで、

ようやく服の裾を掴んで止めてくれる人が現れました。

ブログで何度か書いたことがあるように、

私はサボるとか休むとか頼るとか、

そういうことが昔から本当に苦手です。

でも、今は走るどころか歩くことさえ嫌になってきて、前が見えなくなってしまった気がして。

 

何とかしなきゃ、と思って

療養期間が空けてもちょくちょく休んだり、

節約しながら美味しいものを食べてリフレッシュしたり、

いろいろ試した末に

自分に必要なのは【言葉】なのではと思い、

知り合いやファンの方にメッセージを飛ばしました。

 

「私のいい所を教えてください。」

 

これが間違いだった。

正体も分からないのに、

欲しい言葉が貰えると思っていました。

 

インスタのフォロワーさんの8割が、

そして、私とある程度深く付き合っているアーティストの多くが、

 

「頑張り屋」

「努力家」

「ストイック」

 

と返答してくれました。

 

絶望したんです。

1年かけて作ってきた「紫野」のイメージは、

長所は、「頑張り屋」、

だけだったんたなって。

 

私がどれだけ立ち止まりたいと思っても、

誰かが自分を応援してくれるのは私が皆さんに見える努力ばかりしているからで、

つまり、そういう、

頑張り屋な私を求められている気がして、

絶望しました。

 

もう頑張れない

 

と思った時、

助けて欲しいと思って欲した言葉にまた追い詰められてしまって、

逆にそこで吹っ切れたというか。

 

もう頑張り屋やめちゃおう。

不死身やめよ。

強い紫野は私の中から追い出してしまおう。

 

そう思ったんです。

他人にプロポーションの如く見せつけてきた努力を1回辞めようかなと思うに至りました。

 

「ひたすら頑張る努力家の紫野ちゃん」を皆さん見せ続けることに嫌気が指したんです。

 

見せるのは簡単。

そう、すごく簡単なんですよ。

 

ただ毎日毎日、活動報告をするだけです。

 

今日はこうだった、

求めていた成果が出たのか出なかったのか、

次も頑張るね、

いつもありがとう、

 

写真付きでストーリーとTwitterに載せるだけ。

そんな表面的なところだけを見て、

 

「すごいね!」

「尊敬する!」

「頑張り屋!」

 

なんて言われるのが、

私の印象の多くが「頑張り屋」で占められていくことに耐えられなくなりました。

 

求められているのは、

頑張っているところを見せる私であって、

でも私が本当に頑張っているのは、

ストリートが終わったあとの夜中や早朝の練習や作曲、歌いこみ弾きこみの時間であって、

決して、

それをファンの方が見ることはこれまでもこれからも有り得ません。

 

私は影で努力をしているんです!

 

そんなことじゃないんです言いたいことは。

 

皆さんがみているのは紫野のほんの一部分なんだよ、

 

ってことなんです。

 

見せられた努力だけを褒められるのが、

努力がただの演出やプロモーションになっていくのが、

自分を浪費している気がして、

自分を完全な商品にしている気がして、

機械的で、

ただただ、苦しい。

私も弱くなりたい。

落ち込みたい。

いつでも元気で明るくてポジティブで、

なんて無理。

 

そこで、まずは路上ライブからちょっと離れよって思ったんですよね。

そうすれば楽になれる気がしました。

今は気楽にやっているけれど、

登竜門の間近の頃は、

頑張り方を変えたいというか、

アプローチを変えたいというか、

そんなことばっかり考えていて。

 

ライブが近くなってチケット売らなきゃ!

っていう集中期間って、

1stワンマンの時も、登竜門のときも、

そしておそらく今回これから迎える2ndワンマンまでの日々も、

「やりたい」

より

「やらなきゃ」

「売らなきゃ」

が先行していて、

言ってしまえば「やりたくない」が靄がかっている状態になってしまいます。

だから、

100%楽しい、を作れるように環境を正すことが最優先だと考えるようになりました。

 

自人生棒に振ってもやるんだと決めた音楽を

嫌いになってしまいそうで、

初めて

「もう頑張れない」

と思った登竜門の手売り期間、

 

それでもやめることだけは有り得ない。

 

という相反した気持ちがその隣に合って、

止まろうと思ったんです。

 

そこで、2023年度からストリートライブを制限し、ライブハウスでの活動を拠点とした土台作りに徹しようかと思っています。

 

簡単に言えばプラットフォームをSNSに変えてみるというか、

これから自分が生き残っていくために自分の輝ける場所をもう1つ作ろうということです。

 

ストリートは告知したい時に告知して、

やりたい時だけ出て、

行きたい駅に行こうと思います。

 

寂しがりなので、

引っ込んだりまた出てきたりすると思うんですが、 1年身体を酷使して毎日ストリートできてたから、SNSならもっと頑張れるんじゃないかなァと思ってます。

崖っぷちのシニョもあるし、

そもそも路上ライブ大好きだし、

路上ライブから完全に消えることはないと思います。

あんまり得意分野ではないですが、

色んな人の力を借りたり、

自分でも色々と考えたりしているので、

ちょっと遠くなったなぁ位で見守っていてください。

 

これは、活動休止ではなく「方向転換」。

Direction。

 

また次回。

 

紫野