徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Farewell

おじいちゃんへ。

孫です。

2023.1.13の本日、あなたのお葬式が終わりました。

お坊さんは「気持ちよさそうに寝ている」なんて言っていたけど、寒くなかったですか。

亡くなったのはお風呂の中だと聞きました。

発見まで7日間も誰にも気づいて貰えなくて、

服も着れないまま。

風邪をひいてはいませんでしたか。

 

現場検証を行った警察は、ものを広げるだけ広げて、後片付けもしないままおじいちゃんちから出てっちゃったんだって。

私は普段からあの組織が嫌いだけど、

今回の件でもっと嫌いになりました。

人の家に上がるんだから、それくらいちゃんとしてよって思っちゃうよね。

片付けくらいしろよって、おじいちゃんに怒ってほしかったな。

 

2022.12.31

私が東京で、ファンの皆さんと来たる新しい年を祝い、道端で乾杯している間、

世界でたった1人の私の祖父がこの世を去りました。

母方の本家は、今回亡くなった祖父がずっと一人で守っていました。

祖父と祖母は、いわゆる昔の政略結婚で、

祖母は祖父のことが嫌いで、

私が物心着く前にはもう完全に別居していました。

父方は、まだどちらも健在ですが、父が結婚する前に離婚済みなので、祖母の顔しか分かりません。

だから私にとっての祖父は、

世界でたった1人だけ。

おじいちゃんへ。

本当は棺に入れたかったけれど間に合わなかったからここに書き残すことにするね。

 

昨日今日と私の実家や、母方の本家はてんやわんやで、私もお正月休みが終わって帰京したその2日後、追試の替えが効かない授業の最後のテストを受け、その日のうちに新幹線で帰りました。

 

生まれて初めての冠婚葬祭、

生まれて初めての喪服、

よくわからないままやらされたお通夜の香典受付。

 

実感が湧かないまま、儀式だけが滞りなく進み、あれよあれよと3日間がすぎました。

でも、私はお葬式まで全て終わってもずっと泣いています。

今日の夜は雨が降っているみたいです。

火葬の時にはあんなにいい天気で、目の前の富士山も綺麗だったのに、本当に何もかもが嘘みたい。

 

棺の中にお花を飾ったり、

遺骨を拾ったりするのは想像以上に辛かった。

 

糖尿病の薬を飲んでいたからなのか、

思ったより残った遺骨が少なくて、

とてもショックでした。

170cm後半はある祖父が、火葬場から出てきたらあんなにちいさな骨壷に収まってしまう。

それがまた虚しくて仕方がありませんでした。

 

熱くなかったかな、

息苦しくなかったですか。

焼いている時は私たちは中に入れないから、

待合室で味の濃いお弁当を食べていました。

全然お箸が進まなかったよ。

エビフライに唐揚げに、サザエの磯焼きに、サワラの西京焼きに、普段だったら飛びつくおかずが沢山入っていたのに、全然食欲がわかなかったの。

 

私は祖父と何回ご飯を食べただろうか。

振り返ってもほとんど記憶が無い。

そもそも静岡に帰ることすら滅多になかったから、最後にきちんと顔を合わせたのも2年くらい前なのかな。

私は東京から一日でも離れるのが嫌で嫌で仕方がなかったし、

こんなふうに突然お別れの日が来ることを全く考えていなかったから、

また今度でいっかなんて甘いことをずっと考えていました。

寂しかったよね、ごめんね。

 

お通夜もお葬式も、私の頭の中には後悔の2文字がぐるぐる回って、ほとんど寝れていないのにお経の時間も全然退屈しなかった。

 

祖父をいたわるための涙なのか

私の後悔が出している涙なのか、

これはほとんど後者だと思う。

 

訃報を聞いた時、頭の整理がつかないまま涙だけが最初に出てきたけれど、

スケジュールが立っていなかったし、

私には卒業をかけた追試のない試験も残っていた。

母と相談して、全部やりきってから戻ることにして、でも部屋にいると私までおかしな事を考えそうだったから、

死にそうな顔をして路上ライブに行きました。

何を歌っても、無理やり笑っても、

全部祖父に向けた歌のような気がして、

こんなところで何してるんだろう自分、

早く帰りたいのに、って情けなく思った。

 

 

喧嘩をしたことはなかったけれど、

寂しい思いをたくさんさせてきたと思います。

私は子供は大好きだけど、

祖母や祖父に対してはどう接していいか、

歳を追うごとに分からなくなっていきました。

できることなら、会わずに済むことまで考えていました。

お墓参りやお盆の帰省で帰った時、

いつもいちご大福やみかんやお煎餅をくれたじゃない?

時期をずらしてお正月休みにお邪魔した時は当たり前のようにお年玉やぬいぐるみをもらっていました。

だけど私は、いつも全然上手く話ができなくて。

いつも下を向いて、「うん」とか「はい」とか、短い返事しか出来なかった。

だから、今も、葬儀の間も、私が泣くのはお門違いだったんじゃないかってずっと思ってるんです。

 

小学校の頃、帰宅すると母と祖父が電話をしていた。
私と話したがっていた祖父に応えたくなくて、

「いないって言って」って言って母に怒られたこともあります。

聞こえてたよね。

あのとき、渋々電話に出た私に、

「ごめんね、おじいちゃんなんか話が長いからだよね」って謝られたことをいちばんよく覚えています。

それでも嬉しそうにお話をしてくれて、

すごく申し訳なく、恥ずかしくなったことまで覚えています。

母とはよく電話してたけど、私が成長するにつれて、私は家にいる時間が少なくなりました。

部活や勉強を終えて帰宅するのはもう21:00とか、土日はほとんど一日部活で試合や遠征に出ていたし、電話があったことすら知らなかったよ。

 

私は1度も、祖父に自分から電話をかけたことがありませんでした。

私にとって『祖父』と呼べる存在は彼だけだったのに、思春期や都合を言い訳にして、

ずっと寂しい思いをさせていた。

電話番号を母に聞こうと思ったけれど結局聞くタイミングを逃したまま、別れの日が来てしまいました。

祖父は、母方の大きな実家にたった1人で何年も暮らしていました。

1度、同居の話も持ち上がったみたいだけれど、結局有耶無耶になって無くなったそうです。

昭和の時代に建てられた一軒家は、

蛍光灯の薄暗い灯りや、雨漏りや、手すりのない急な階段、吹き抜ける寒い風で、

もう本当に寂しくて、それがまた一層、

見ているだけで辛くさせるんです。

 

祖父は狭いところが好きなのか、

2畳しかないお部屋に大きなタンスと、

小さな机と、

蛍光灯やストーブや調味料を置いていました。

そこで何をしてたか私は知ってるんだ。

興味もないのに聞かされたジオラマやプラモデルのことをよく覚えているから。

国鉄の社員だった祖父は鉄道が好きで、

1回の客間に大きなジオラマがありました。

何ヶ月もかけてあの細かいジオラマを作ったんだって楽しそうに話していました。

出来上がったジオラマの上に、作りかけの新しい模型があったんです。

法隆寺ジオラマでした。

まだ大枠しかできていなかったから、

これから何ヶ月もかけて完成させる予定だったんだと思います。

それで、また楽しそうに話してくれるつもりだったんだと思います。

 

そういえば、客間のエアコンをつけようとして、リモコンがなかったんだけどどこに閉まったの?

母や叔母がみんなで探したんだけど結局なくて今日は寒い部屋で祭壇に礼拝したんですよ。

おじいちゃんも寒いでしょう?

分かるところに置いておかなきゃダメだよ。

おじいちゃんは記憶は大丈夫だったけど、そういうところちょっと気が利かないよね笑。

 

 

そういえば高校1年生の時、クマのぬいぐるみをもらったんだけど、覚えているかな。

実は今も一緒に寝ています。

東京のお部屋に連れて行って、

クマゴロウって名前をつけたの。

対象年齢3歳って書いてあったから、

あのときはおかしくて笑ってしまったけれど、

もう今ではおじいちゃんの形見になってしまった。

 

そんなことを考えながら、おじいちゃんのあの狭い部屋に1人で篭ってたらカレンダーを見つけたの。

30日におせちが届くって書いてあった。

受け取ったんだよね?

食べなくてよかったの?

机の上に毎日の時間分、小分けにされた薬の袋を見つけました。

玄関に手押し車があって、びっくりした。

一人でお家の階段怖くなかったかな。

洗面所に、脱ぎっぱなしの服と新しい着替えが置いてあったままだったって言ってたよ。

あの埃っぽい部屋と大きな家は生きてるのに、

おじいちゃんはもう居ないんだよね?

私はまだ頭が追いついていないみたいです。

まだ会えると思っているみたいです。

 

今更になって、

もっと会いに行けばよかったとか

電話してあげればよかったって、

後悔してるんです。 

怒らないで欲しいんだけど一つ言いたいんだ。

お年玉もお菓子も要らないから、

もっと生きてて欲しかった。

 

もうお墓参りの時に、おじいちゃんのお家に顔を出しに行くことはなくなるみたいです。

いないんだもん、仕方がないよね。

でも私はまたあの引き戸を開けて、おじいちゃんに会いに行きたいです。

だめかな、もうお引っ越ししちゃったもんね。

 

私がもう記憶もないほど小さい時に、おじいちゃんと別居していた祖母にも20年振りに会いました。

もう認知症でグルグルしててね、

1分おきに「あなたはだれ?」って聞かれるの。

同じ会話をずっとしているんです。

途中からおかしくて笑っちゃった。

明るいおばあちゃんだったけど、

背中も完全にまるまってた。

おじいちゃんが亡くなったことも、何回も聞いて何回も忘れて、

「あなたのおじいちゃんは生きてるの?死んでるの?」なんて私に聞いてきたよ。

今日はあなたのご主人のお葬式だったんですよ、

って何回も説明して、私がこれ繰り返すのきついななんて思ってても、祖母は

何回も「来てくれてありがとうね」って言うの。

また何時でもこの家に来てねって、

もう誰も住まないお家に歓迎する、

って見送ってくれた。

仲が悪かったみたいだけど、

そんなの嘘みたいに明るく私たちを出迎えてくれたよ。

足もまだしっかりしていて、

横顔が私の母にそっくりで、

でも、

おじいちゃんのことを忘れてしまっているのが私はすごく悲しかったです。

仕方がないことなんだけれど。

マダラとかじゃなくて、

もう本当に認知症なんだって。

人は、忘れられた時にもう一度死ぬんだって、

聞いたことがあります。

おばあちゃんはおじいちゃんのことを病気で忘れてしまったけれど、

私はおじいちゃんのことずっと覚えています。

母はちょっと宇宙的思考回路だから、

なんかまたオカルトチックなこと言って父に弄られてたけど、あの人も妙に冷静で淡々としてたから私の方が逆に心配になりました。

母のこと、空から見守ってあげて欲しい。

 

最後に、おじいちゃんに聞きたいことがあるんです。

 

私があなたの孫でよかったですか。

私はあなたに何か恩返しができていましたか。

私はもう少し泣いていてもいいかな。

まだ会いには行けないから、

また寂しくさせてしまうけれど、

不安にはさせないように頑張るからね。

 

あなたが亡くなってから、

泣いてばかりで食わず寝れずの私を心配して支えてくれた友達やファンの方もいるからね、

おじいちゃんは何も心配しなくていいです。

直接聞いてもらったことは無いけれど、

今ならいつでもどこでも私の歌を聴いてもらえるよね。

どこまででも届くように頑張りますね。

 

お坊さんが、お釈迦様の最後の言葉をおじいちゃんに向けて読んでくれたらしいよ。

それを聞いて身を委ねれば、おじいちゃんはお釈迦様の弟子になって浮かばれるんだって。

私は説法とか仏教とか、宗派も含めてぜんぜん興味無いけど、とりあえずそれを聞いて「よかったね」って思った。

おじいちゃん、天国にいけるんだって。

いっぱいお花も渡したし、きっと綺麗なところにいるよね?

そっちのお花は枯れないんでしょう?

きっとそうだと信じています。

 

84年のうちの20年、近くにいても遠くにいても、見守ってくれてありがとう。

私はおじいちゃんの孫でよかったです。

 

今は後悔しかないけれど、

また会いに行きます。

次は笑って会いに行けるように頑張ります。

安心して眠ってくださいね。

 

 

「我慢(endurance)」

おはこんばんにちは。

紫野です。

今日、心が壊れてしまう気がしたのでブログにしました。

先日書いたあるアーティストとの関係を断ち切ったことに続き、どうしてこんなことに私がここまで苦しまなければならないんだろう。

 

 

実は、ある自称音楽関係者から、

11月の中旬から年末にかけて、有り得ない罵詈雑言メールを連日もらっていました。

 

今は完全に無視を貫きSNSもブロックしてメールも迷惑フォルダに入れていましたが、

当時はストレスで過食や睡眠不良、消化不良が続いていて本当に辛かった。

 

前述の通り、彼は自称音楽関係者を名乗って名刺を渡してきた方です。

それ自体を嘘だとは思わないし、
認めて応援してくださっていたことは素直に嬉しかった。

 

でも、

彼はプライベートにまで踏み込んでくるようになりました。

 

就活は私が斡旋します、
マネージャーになりたいです、
あなたはメジャーに行くべきだと、

あなたの今後を私に全て一任してくれませんかと提案をされたり、

大学卒業後のことなど、

私情にも口を挟まれる始末でした。

実は最寄り駅も知られてしまい、

 

終電を逃したらタクシー代で帰って、

今度立て替えます。

 

と言う私宛のツイートや、ご自宅や携帯の番号を鍵の着いていないTwitterアカウントの普通のツイートで送られてきたりしていて。

 

紹介していただいたプロデューサーの方とお会いした時に立ち会ってくださった方のSNSを転載したら、その人やその事務所のことを散々悪く言って、勝手に私が所属になるものだと決め込んだツイートをしたり、、、。

 

メールもツイートも全部スクショにしてとってあるくらい酷いんです。

それに加えて、連日未明に送られてくるメール朝起きてから見ると滅入ってしまって、

不必要な干渉はやめてほしいと伝えました。

何時間も悩んだ末に、

 

就活や卒業後などプライベートのことにはどのファンの方にもお答え出来ない

不必要な干渉や非常識な時間のメールの送信、

SNSでの虚偽情報拡散はやめてほしい

 

と言う旨をまとめて、メールをお返ししたところ、逆ギレ三昧の罵詈雑言が、

改行もせず1度のスクロールでは読み切れないほど送られてきました。

 

そもそも違法路上ライブをやっているくせに、

とか

警察に出頭しろ

とか

名誉毀損で訴える

など、どれも支離滅裂で今読み返しても筋の通らない長文メールです。

かと思えば、その数時間後に向こうの私情で勝手に取り消した出演依頼を、再度依頼してきたり、

もう本当に気がやられてしまって。

このブログで晒してしまって解読してくれる人を探そうかしらと思うほどです。

 

足繁く通ってくださっていましたが、

何を言っても逆ギレ聞く耳持たずで話が通じない処か、

いつもお酒を片手に持っているので、

正直何をされるか分からず、

よく集まってくださる方やサポートしてくれる方々に話を共有して近づきにくいように囲ってもらっていたほどです。

 

このままでは私の精神に良くないと思って、

ブロックをしたら、

それもまぁ一悶着。

 

年明けにやっと諦めてくれたかと思いましたが今日、久々に彼をお見かけしたので、


そういえばと思って

ブロックしているTwitterを覗いたら、

私が苦闘しているところをご覧になっていたみたいです。

 

「堕天使は終わり、もう用はない」

「ついにはカメラだけ」

と書かれていました。

以前から私は新宿の妖精だと彼に言われていましたが、種族が変わっていたみたい笑

 

という子供じみた皮肉はさておき、

 

確かに今日は、先日の旅疲れやおそらく貧血が相まって反省や悔しさが残るパフォーマンスをしていた自覚があります。

こんな言い訳するくらいなら休んでおけばよかった話ですが、周りのミュージャンを見て、

内心の焦りが顔にも出ていたと思う。

 

応援もブーイングも、アンチも、
そういうのは必然です。

目立つことしてるもの、ない方がおかしいし、

何かしらの反応を頂けるまでになっていることには喜びを感じます。


でもね、私も人間なの。

 

毎日やってたら当たり前に波がある。

プロですら体のことはコントロールが出来ないし、それでも自分がたてた目標、決めていることとか、お仕事のためには、誰もがなにかしら万全に近付く努力をして現場に出ていくわけですよね。

 

上手くいく時ばかりでは無い、

これは私に限らないはず。

路上ライブって特にそれが顕著でね、

街自体が、

「音楽なんか要らんよ、聞いてる暇ないよ笑」

って言ってる時があるんです。

毎日やればそういう日にも沢山出会います。

だからこそ、そんな時にふと立ち止まる誰かに私は救われるわけなんですが。

 

おだてるときだけおだてて、
気に入らない、

自分の思うとおりにならないと分かれば言いたい放題に人を傷つけ、
上手くいっていないところだけを見て勝手に失望されて、

からしたらいい迷惑なんですよね。

またなんか言ってんなー、くらいで思っていてもチリは積もるわけです、

また私は我慢していた。

 

寝れないわ、食べれないわ、かといえば爆食して何キロも増えて、毎日お腹を下したり吐いたり、

思い当たる節は彼からの長文メールや訳の分からないツイート攻撃による精神不良しかなかったので、そこで初めて考えつき、

診断書を取ろうかとツイートしました。

いっそう周りの方から心配されました。

もう情けなくて、自分が。

ツイートしてはいけないこんなこと!

っていうことすら我慢できなくなっていたんだと思います。

 

会うカメラマンさんに、

「また紫野書かれてたぞ」とか

「1回警察いっときな」とか

アーティストの皆さんにも心配されるほど、

本当に心身が蝕まれていました。


私のメンタルが弱いせいです。

もっと強くなりたい。

 

 

でも、私はいい時だけ調子に乗って応援してくれても、ダメな時に叩いてくる人をファンだと思わないの。

そんなのはただの自己満だし、

程度の低い野次馬です。


私が苦しい時、しんどい時、

それでもそばに居て、見守ってくれる人が本当のファンです。

私はそういう人を大事にしたい。

そしてこの1年半、

死にそうな顔をして歌っていた時も、
そういう人がいたおかげで、

支えられてここまで来たから、あんなのには負けない。

虚勢はってでもそう言いたい。

 

「ついにはカメラだけになった」

なんてツイート、あの人に私の一日の何がわかるんだろう。

今日の昼の部は、最初は良かったけれど、

色々あって気持ちが落ちてしまって、

終わりの方は確かに固定の方やカメラを回してくれる方しかいなかったです。

でも、そんなこと気にしてられない。

私が気にするべきは、人を停めているかどうかでは無い。

要因なんです。

いい時も悪い時もそう。

上手くいかない時はそれを受け止めて、

省みて、

考えるんです。

 

何が要因なのか、
改善にはどれくらいのスパンが必要か、

何を伸ばせばいいのか、

反応はどうだったのか、

楽しんでもらえたのか、

どうして気分が落ちてしまったのか、

歌いたい歌は歌えたのか。

 

そのために毎日レポートをつける。

 

いつどこで何をした?

どうだった?

納得した?

結果は出た?

明日は何を変えてみる?

 

これを読んでいるみなさんも含めて、きっと私が何を変えようとしているのかは分からないと思います。

でも、そんなの大っぴらに言うことでもなくて、

だから伝わらなくてもいい話なんだけれど、

 

勉強も仕事も、おんなじではないのかな。

 

私がやっていること、考えていることは、

すぐにとはいかなくても無意味なものにはならないと思います。

その自信があります。

その答え合わせがライブなりなんなりの形で出来るわけです。

 

 

このブログを読んでくれるあなたには、

お願いです。
私たちをちゃんと人間として見てほしい。

何かしらの期待をして私のところに足を運んでくださることは私も重々承知の上ですが、

ごめんなさい。 

 

きっとこれからも私は格好悪い。

 

皆さんに謝らなければいけないくらい悔しい日があると思います。

上手くいかなくて泣き顔を晒す日もあると思います。

 

でも、今までもずっと、それでも戦ってきました。

 

毎日やる。

 

格好悪いし頭も悪そうだし、効率も悪いし、

でも、悔しいけど

継続だけが私の取り柄なんです。

これだけが、私がほかの人に勝てる部分なの。

 

上手くいく時も、
上手くいかない時も、
何も言わずに見守ってください。

 

そして、当たり前ですが、

私に限らず、気に入らない人に対して言いたい放題罵詈雑言を浴びせるような格好悪い人にならないでください。

 

私の周りにいる人は、

人を自分本位に傷つける人であって欲しくない。

 

 

 

また次回

 

 

紫野

2021.12.18

おはこんばんにちは。

紫野です。

 

1日すぎてしまいましたが、

1年前を振り返りました。

 

去年の今日は、

紫野としてこの活動を本格化させたきっかけとなった、1stワンマンライブ「はじめの1歩」が、見事に成功した日です。

 

思えば、右も左も分からないまま、

第2次緊急事態宣言の真っ只中に独り、

接続の仕方も分からない機材を持って新宿に来ました。

カメラマンさんが居合わせなかったら生歌で歌うところでした。

 

1番初めにチケットを買ってくれたおじさんのことを、今でも鮮明に覚えているのです。

私の大好きなリトグリのリクエストをしてくれました。

 

当時の私は、今もではありますが、

歌もギターも死ぬほど下手で、

でもどこかに、根拠の無い自信がありました。

 

結果は伴わないのに、自信だけがありました。

1枚目が売れるまでに1ヶ月半を要した癖に、

私ならいける、と思っていました。

 

バキバキに心が砕けた日ももちろんあります。

3日間、文字通り食事や睡眠が出来ない時もありました。

振り切ったら、何かが変わったあの感触も覚えています。

色んなところに行きました。

都内山手線一周、横浜、千葉柏、埼玉など、

行けるところ全てに行きました。

チケットは買えないけど頑張ってと言って、

1000円札を入れてくれる皆さんのおかげで、

定期を作り、

新宿以降の駅までの交通費にさせて頂いたり、

ワンマンに備えてなけなしの貯金と一緒にギターを新しくしたり、

帰りに300円だけ使って食べるコンビニのおにぎりとお味噌汁が買えた日々でした。

どんなに美味しいレストランのご飯より、

体に染みる味でした。

誰もいない駐車場の縁石に座って食べるのが日課でした。

帰り道に、オリオン座がいつも見えました。

 

チケット100枚が完売したのは、当日12/18の朝。

DMを頂いて完売がわかった時、

嬉しくて泣きました。

前日の夜も路上ライブに出ていた気がします。

あと3.4枚だからと、

セットリストも決めず、

色んな人に心配される中でやった思い出があります。

今よりも女っ気がなく、

今よりも余裕がありませんでした。

 

あの頃にあった根拠の無い自信とか、

私を突き動かしてくれた動機とか、

泣き明かした朝でも起きられた理由とか、

そういうものが何かなって考えたところで、

1年しか経ってないからなのか、

いくら待っても答えが出ないものだからか、

結局のところ何も分かりません。

 

私が1年前と比べて何が変わったかなって、

もしくは、

変わらずに持っていられているものって何かなって、

日々、考える。

 

聞く音楽が変わり、

感動させられる言葉が変わり、

ギターの弾き方が変わり、

紡ぐ想いが変わりました。

見える景色に対して持つ感想が変わったし、

一匹狼を卒業した気もします。

気も強くなったし、

メンタルも強くなったし、

朝の迎え方が変わりました。

 

色んな人の歌や音楽や、スタイルとかそういうものを今までよりも勉強・分析するようになってからは、

自分に足りないものとか、

欲しいものとか、

羨ましいと思うものが増えました。

自分と誰かを比較して勝手に傷つくことも増えました。

 

私が誰にも負けないものって、何だろう。

そんなものが私にあるのかな。

 

アーティストさんとも、

当たり前ですがファンの方とも、

人との繋がりをさらに大切にするようになりました。

だからこそ、見えなくなったものもあります。

 

嫌な気持ちにさせられたアーティストとの関係もありました。

怖くなってしまったファンの人もいる。

根拠の無い自信は消えました。

 

 

でもね、それだけじゃないんですよね。

 

ライブやるよって言ったら、

予定を空けて、交通費とチケット代と、高すぎるドリンク代をかけて来てくれる人がいます。

路上やるよって言ったら都内からはもちろん、県外から電車やバイクで見に来てくれる人がいます。

私を撮影して下さるつもりで重いカメラを背負って持ってきてくれる人もいます。

助けて、と声を上げたら、

仕事終わりや貴重なお休みの日をまる1日、

私のために使ってくれる方がいるんです。

どれだけ遅れても、新宿に私が戻ってくると待っていてくれる人がいます。

 

「あなたは、私はひとりじゃない」

なんて言葉は綺麗事だと思っていた。

でも今の私は、「あなた」という要素がなければ成り立たない。

私の歌は、受け取ってくれる誰かがいないと、

宛先不明として私のところに差し戻される名前も無い手紙で終わってしまうのです。

気持ちよく歌えたらとか、

沢山人を留められたらとか、

その日のあがりが多かったらとか、

そんなもので私を満たすことはできなくなったんです。

 

1年前は、自分の夢に近づけている気がして、

毎日が大きな進歩で、

好きなことに没頭できることが幸せでした。

 

今は、

自分の周りにたくさんの人がいてくれることがすごく幸せで、

あまり好きな言い方では無いけれど、

「誰かのために」歌うことが出来る日々が、

とても大切です。

私の歌が好きだって言ってくれた人がこんなにも増えたこと、本当に嬉しく思います。

バズったりしないし、

ルックスも普通だし、

秀でたものは何もないけど、

でもこれでもいいんじゃないかと思う。

もちろん、もっと大きな舞台に立ちたいし、

連れていきたいし、

連れて行って欲しいとも思います。

でも、慎ましい幸せが今の私にはあります。

 

次のワンマンが終わる頃には、

私が走ってきた1年間に対する答えが出ていると思う。

数字だったり、

ご来場くださる皆さんの満足度だったり、

なにか形として皆さんに受け取って頂けるものだったり、

それが「何」かはわからないし、

実現できるかどうかもわからないし、

多分ひとつに収まるものでもないんだと思うけれど、

また「はじまり」にTRAVELできるんじゃないかなって、そう思います。

 

TRAVELは、ライブハウスの内見に伺った時、

その場で紙チケットを発行してくださるとのことで、頭にポンと浮かんだものをそのまま付けたライブタイトルです。

 

キリのいい3/31という日付ですし、

来たる「明日」が、

「春」が、

また「はじまり」にTRAVELする貴方が、

少しでも凛として立っていてくれたら、

ライブは成功になるかな。

 

寒い冬を乗り越えて、

私は必ず遅咲きします。

 

 

また次回。

Help

おはこんばんにちは。

紫野です。

実はココ最近、色々なことが同時に重なってかなりストレスフルな日々を送っています。

 

最近、お付き合いを辞めたいなと思っていた人との関係に限界が来たので綴ろうと思います。

得られたものは少なかったし、

かなり体力も消費しました。

失うものや、これからその人と仲良くしていた期間が原因で損なわれる信頼もあるかもしれないと思うと、少し怖いです。

ただ、私が積み上げてきた1年半、ずっと見てきてくれている【あなた】が、易々と私から離れていってしまうほど、私の築いた土台は脆いものではない。

 

何があった、と書きたい訳ではありません。

というか、常に私の中には不満があったから、今更事立てる意味もないかと思って、割愛します。

公にするべきことでもないですし。

 

ただ、学んだ、いや復習になった、が正解かな。

あらためて考えるきっかけにもなったのでログとして残そうかなぁと思い、今回のブログ更新に至りました。

 

今日のお題は「Help」。

思い返せば、私が誰かに助けられている瞬間っていうのは、瓶の中にお気持ちを入れていただいたり、チケットを手に取って会場に足を運んでいただいた時ばかりではありませんでした。

いえ、思い返さずとも。

 

何かを誰かがしてくれること、それは当然ながら当たり前では無い。

 

そもそも【してくれる】の中にある【くれる】は先方の善意やご厚意があって【良ければ○○してあげるよ】と言う気持ちに付随する行動であって、
だから助けをお願いしたい私ないし誰かは何かして【もらう】【頂く】という意識を常に持つべきです。

 

ライブ配信をする
重い荷物を持つ
充電切れに備える

 

こういう事態に対して、

そもそも我々は想定と1人でもどうにかなるための備えをしておくべきなんです。
ファンやサポーターの皆様の手を煩わせなくても乗り切れるようにしなければならない。

 

荷物が増えて重くなるから譜面台をわざわざ追加して持ってきたくない。

充電器は誰かに借りればいい。
遠回りしたくないから階段で荷物を持ってもらって、エレベーターやエスカレーターを探さない。

 

でも、譜面台を増やすのも、

充電器は携帯しておくのも、

エレベーターまで歩くのも、

我々がこのような活動をする中では必須かつ宿命なのでは。


当たり前に、自分でやらなければならないことなのでは。

いつも誰かが当たり前のように側にいて、
いつも誰かが言わなくても当たり前のように自分に何かしてくれる環境にいると、
人って、お礼も言えなくなるものなんですね。

 

そうして、善意は疑問に変わって
人が離れていくんだと思います。

 

それを他の人のせいにしたり、
ファンを取られたと言い回ったり、

挙句の果てにはあることないこと触れ回っている人がいるみたい。

 

実はそう言う事案に巻き込まれて、とても嫌な思いをしました。

正直めんどくさい、が勝つのですが、

私は日頃の行いや、人との付き合い方・礼儀、音楽とは関係がない細かなことまで気を配ってきました。

その積み重ねに確固たる自信があります。

それでも、不安になってしまう。

 

そして私は絶対にこうはならないんだと、反面教師にさせてもらう予定です。

 

 

悲しいよね。
何が悲しいって、
その人のお先の暗さが、悲しいですよね。

 

誰にも教えて貰えなかったんだな、

止めて貰えなかったんだな、

この先もそうなんだろうな、と。

 

 

その時になって求められても私は助けませんがね。

 

また次回。

 

紫野

Result

おはこんばんにちは。

紫野です。

お元気ですか、皆様。

 

私は先日、登竜門前の最後のストリートを無事に終えることができました。

ここまで支えていただいた臨時スタッフの皆様、

見届けてくださった現地ファンの皆様、

出会ってくださった皆様、

さらにはSNSで遠方から応援をしていてくださった皆様、

最後に、しゃぼんメンタルな私を勇気づけてくれたアーティストの皆様に厚く御礼申し上げます。

 

昨日、目標達成したぞうおおお、みたいな喜びの舞動画をアップしたり、

その前の日には某駅でトラブルに見舞われたことを報告したり、

まぁいろいろありましたけれども、

結果が全てだと思っています。

 

120枚を断念すると公表したとき、

まず悔しさと涙が止まらなくなり、

食欲が落ち、夜は眠れず、

という完全に堕落の時間を過ごしていましたが、

「周囲の方々を頼る」ことに対して無駄に高かったプライドを捨て、

昨日までの道を歩んでくることができたと思います。

 

中には様々な都合で応援と協力は難しいというお返事を頂いたり、

いきなり音信不通になったりした人もいます。

でも、私の周りには、

それ以上に私を助けてくれる人がたくさんいました。

 

それを見て、

今まで選んできた選択が間違っていなかったと、

ここに「結果」が出た、と思いました。

 

私が頑張っているところを見ると勇気が出るんだ

 

と言ってくれる女性がいたんです。

私はただ、自分のことや夢のことだけを考えてやってきただけなのに、

それがいつしか意図せずに誰かを応援していることになっていたとは思いもしなくて、

なんだかすごく嬉しくなりました。

 

 

とはいえ私も毎日毎日楽観して歌っていた訳ではありません。

私は無名とはいえ、自分のために大切なものを賭してくれるお客様を抱えるパフォーマーでありアーティスト。

表に出せないことも沢山ありました。

 

ここに来るまで、

 

我慢してきたもの、

切り捨てたもの、

不必要に傷ついたこと、

無駄な涙、

小さな後悔、

 

沢山あったんです。

でも振り返ってみたら案外どうってことない。

 

あの時、

 

我慢した言いたいこと

1人でやりきるなどという無駄なプライド

許せなかった人間関係を終わらせたこと

毎日少しずつ生まれる後悔

 

いろいろあったけれど、

こうして振り返ると、

あの時のネガティブは全部今の私の「成功」に繋がっていました。

「マイナス」✖️「マイナス」=「プラス」ってやつです。

 

 

今、私の周りにいてくれる人が全てです。

 

私のために疲れたお仕事帰りに終電までよってくれる方、

休日も朝からフライヤー作りも込で最後までストリートを手伝ってくださるスタッフの皆様、

遠くまで駆けつけてくれる方、

毎日活動報告のストーリーに反応してくれる方、

何かあった時、「大丈夫?」と声をかけてくれる方。

 

「無理はしないで」と言う言葉、

「ありがとう」と言う言葉

「歌を聴いて明日も頑張ろうと思った」という言葉、

たった一言一文で、私は毎日救われていました。

 

ありがとう、のひと言では

私の感謝の気持ちは表すことができません。

だけど、皆さんから頂く「ありがとう」は、

その日の疲れも、残念な結果も、悔しい気持ちも全部消し飛ばしてくれる。

そんな出会いを自分ができていたこと、

それは今までの自分の積み重ねによるものだと胸を張っていいよね。

 

助けて欲しいと願った時、

「自分に出来ることなら」と耳を傾け、

時間やお金を割いて助けてくださる方々が、

私の周りには本当にたくさんいて、

それがすごく、涙ぐましいことだと思います。

 

生きていると、

「まちがっていたかもしれない」

と思う瞬間がたくさんあるけれど、

結局その時に正解は分からなくて、

自分の中にもある物ではなくて、

いつも誰かがふとした時に教えてくれるものだと考えています。

 

もう一度、言わせてください。

 

「今、私の周りにいてくれる人が全てです。」

 

ものすごく弱々しいタダの21歳ですが、

皆さんのおかげで、11/12、

胸を張ってステージに立つことが出来ます。

 

2ヶ月間、本当にありがとうございました。

20分、楽しもうね。

 

 

また次回。

 

紫野

 

 

 

Service

おはこんばんにちは。

紫野です。

最近コンビニ飯が日常化してしまって、

少しまずいなと思いつつ、でも時間もないし

スーパーが空いている時間にも帰宅できない、

という歯がゆい日が続いています。

自炊したいのにー。

 

ということで、本日の「Service(サービス)」というタイトルでは、コンビニに通いつめる毎日を送るうちに感じたことを書いていきます。

 

ちなみに、私がよく食べるおにぎりは

 

  1. セブンイレブンキーマカレー塩むすび
  2. ファミリーマートは納豆巻きと焼きおにぎり
  3. ローソンも納豆巻き

 

です。

 

ファミマの納豆巻きが一番好きです。

 

で、なんでこのブログに至ったかというと、

コンビニっておにぎりを温めてくれるサービスがあるじゃないですか。

 

【温めはどうされますか?】

っていうアレです。

キーマカレーとか焼きおにぎりとか、温めると倍美味しいんですが、いつも気になってしまうことがあって。

それで、自身の中での整理も兼ねて、

書き起こしてみようかなぁと思ったわけです。

 

私がまだ中学生とかそのくらいだった頃のコンビニの店員さんって、

温めお願いしますっていうと、

【袋少し切っても大丈夫ですか?】

って確認してくれた人がたくさんいたんですよね。

 

やっぱり自分が買った商品だから、

勝手に封を切られるとちょっと寂しくなったりするし、あの確認ってすごく意味があるものだったんだと思うんです。

でも今のコンビニの店員さんって、

確認すらせずに封を切ったり、

なんなら1600Wの電子レンジで加熱したら袋がパンパンに膨らんでしまうから、封を切ってから温めるということすらしないじゃないですか。

 

パンパンになった加熱済みのおにぎりを見て、

神経質さ故なのか、「うーん。」と思ってしまうんですよね。

マニュアルでも変わったのかなと思ったら、

店舗によって違う。

お店ごとの指導が行き届いていないか、

もしくはただただ個人の怠惰なのか、

どっちでもいいんだけど、

わたし的には確認をして欲しいし、膨らんでいないおにぎりがいいんです。

 

でも、ごく稀に、

確認もして、

わざわざハサミで切込みを入れて、

加熱をした後テープで切込みを塞いでくれるくらい丁寧にしてくれる店員さんに出会うんです。

一言で、【素敵だ】と思います。

多分、テープで切込みを塞げとまでは書かれてないと思うんです。

だってすぐ食べるし、レジに並ぶ時間もかかるし。

だけど、そういう人って、

何でそこまでしてくれるのかって考えたら、

意識的にしろ、無意識的にしろ、

「サービス」とか「仕事」というものに思いやりを持っているからだと思っていて。

「そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ…」

と思う反面、

本当に【素敵だ】と感じます。

 

やっぱり、どんな仕事や活動にも、目の前もしくは遠くには相手というものが存在するものです。

血の通った人間を相手にするから、

ちょっとキザな言葉を使うと、「真心」とか、

そういうものが大事なんだと思います。

 

人にされて嬉しいことを自分もしよう

 

っていうのは、多分こういうことなんだと思います。

それが、お金の発生するサービスだろうと、

頼まれてもないのに無償でやる、やらされるボランティアだろうと、

自分の目先に、【人】がいるという事実は忘れてはいけないんです。

 

こういう、本当にどうでもいい、

人によっては気に留めすらしないことに、

感動したりイラついたりする人間なので、

私にとって世界とはかなり生きづらいものなのかもしれませんが、

こういうことに学びを得られるのも特権ですし、

気疲れこそすれ、

こんな人生観も悪くない、はず。

 

 

ところで、皆さんにとって

「大変お待たせいたしました」

ってどういう意味だと思いますか?

 

さっきの店員さんの対応の話から派生させると、

私は決して、

「列が長くてすみません」とか

「混みあっているためお時間頂いております」

って言うことでは無いと思うんです。

そりゃ、コンビニですし、素早いほうがいいかもしれないよ。

でもさ、早くても商品雑に置かれたり、

動作の音が気に触ったり、

なにより「早くこの客捌けないかな」みたいな、

そういう対応って不愉快じゃないですか。

 

これも、(失礼な言い方かもしれないですが)いわゆる「怠惰」な店員さんと「丁寧」な店員さんとでかなり変わると思うんですけど、

後者が使う「大変お待たせいたしました」は、

 

ひとつひとつの業務にきちんと向き合っているからこそ、お時間を頂いております。

 

ってことなんじゃないかな。

いや、知らんよ?知らんけど。

 

ただ、

ひたすらに混んでいて、列が長くて顧客もイラついている中で焦ったり、自身もイラつきながら言う「大変お待たせいたしました」と、

それでも雑な対応はしない方の「大変お待たせいたしました」って、重みが格段に変わりますよね。

 

っていう、そういうお話でした。

私の考えすぎですかね。

 

 

また次回。

 

紫野

Reviews(追想)

おはこんばんにちは。

紫野です。

今日は取り留めもない話をします。

 

 

電車に乗っているとすごくいろんなことを考えます。

疲れ果てて寝てしまう日も多いけれど、

その日の予定をシミュレーションしたり、

ふと浮かんだ歌詞を歌にできないか考えたり、

終電に乗って1日を振り返ったり、

悔しくて泣いたり、嬉しくて笑ったり。

 

振り返る

 

という行為は、私にとって毒にも薬にもなるものだと思っています。

内容が長期に及ぶものでも、

そうではないものでも、

私にとってとても大事な時間です。

 

それで、今日10/22(23日0:30)の終電で何を振り返っているかと言うと、

まず今日の反省、ですよね。

 

上手く行ったところもあれば

そうじゃないところもあったし、

いちばん悔しかったのは〆の即興もっといい歌作れただろ、っていうのがあって。

 

オーディエンスの皆さんには分からないかもしれないけど、わたし的には悔しい。

 

みたいなことって結構あるものなんです。

今日は、結構頭が空っぽだったみたいで、

言葉が出てこなかったし、

調子が後になって良くなってくるなど

私…この道を目指すものとしてはあるまじき喉のコンディションだったし、

褒めてあげられるところだけではなかった気がします。

 

皆さんが楽しんでくれるならそれでいい、

と思う反面、

ちゃんと納得できないパフォーマンスは許せないという気持ちがあるようです。

 

今日は朝からいろんなことがあって、

モヤモヤしたり、

アガったり、

自分をコントロールしたい場面が多かったのかな。

 

そして、2つ目の振り返りというか、

忘れては行けないというか、

そういうものもあります。

 

それは7月末に起こったことで、

簡潔に言うと「病気」のことですね。

 

私は体に不調や問題があるということを大っぴらにしたくないタイプなんですが、

どうしても活動方針にも響いてくるということで公表せざるを得ないことがありました。

 

一応、経過観察で済むことにはなりましたが、

今も投薬治療をしている子宮頸がんや卵巣嚢腫、将来子供が望めないかもしれないと言われた時のことを、なぜだか忘れてしまう自分がいます。

 

幸せとか、楽しいとか、

音楽をして、

路上ライブをして、

目の前にいる人の暖かい眼差しに包まれていると、

自分がそういう問題に直面していた事実が

嘘だったんじゃないかって思ってしまって。

 

無理はしてない、はず。

でも、忘れた頃にやってくる痛みも、

朝飲まなければならない薬も、

全部全部夢じゃない。

 

私は「普通」でいたいのに、

体はそうもいかない日もあります。

痛みは正直隠せないし、

お腹を抑えている瞬間を見られることもあるんです。

心配かけてしまってごめんね。

 

「無理しないでね」

という言葉は、

「頑張ってね」よりも優しくて愛のある言葉だと思うし、素直に嬉しいです。

でも、自己管理を徹底した上で、

今日はやれると判断した上で、

苦しんでいるところを見せてしまっているかもしれない私に嫌気が指すことがあります。

恥ずかしいやら情けないやら、

そして、あまり思いたくないことではありますが、

 

「なんで私ばっかり」

 

って思ってしまう。

 

皆さんの前に立っている私がどんな風に映っているのか、心配で仕方がないんです。

 

今日、私は自分の1日のパフォーマンスを振り返って、いろいろあったにしてはよくやったと思います。

上手くいった部分もそうじゃない部分も含めて。

 

皆さんにはどう映っていただろう。

楽しそうに見えましたか。

幸せそうに見えましたか。

 

誰かの前に立つ時だけはどうしても、

幸せな私でいたい。

楽しそうな私でいたい。

 

そんな風に、今日を思い返しています。

 

 

また次回。

 

紫野