徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Help

おはこんばんにちは。

紫野です。

実はココ最近、色々なことが同時に重なってかなりストレスフルな日々を送っています。

 

最近、お付き合いを辞めたいなと思っていた人との関係に限界が来たので綴ろうと思います。

得られたものは少なかったし、

かなり体力も消費しました。

失うものや、これからその人と仲良くしていた期間が原因で損なわれる信頼もあるかもしれないと思うと、少し怖いです。

ただ、私が積み上げてきた1年半、ずっと見てきてくれている【あなた】が、易々と私から離れていってしまうほど、私の築いた土台は脆いものではない。

 

何があった、と書きたい訳ではありません。

というか、常に私の中には不満があったから、今更事立てる意味もないかと思って、割愛します。

公にするべきことでもないですし。

 

ただ、学んだ、いや復習になった、が正解かな。

あらためて考えるきっかけにもなったのでログとして残そうかなぁと思い、今回のブログ更新に至りました。

 

今日のお題は「Help」。

思い返せば、私が誰かに助けられている瞬間っていうのは、瓶の中にお気持ちを入れていただいたり、チケットを手に取って会場に足を運んでいただいた時ばかりではありませんでした。

いえ、思い返さずとも。

 

何かを誰かがしてくれること、それは当然ながら当たり前では無い。

 

そもそも【してくれる】の中にある【くれる】は先方の善意やご厚意があって【良ければ○○してあげるよ】と言う気持ちに付随する行動であって、
だから助けをお願いしたい私ないし誰かは何かして【もらう】【頂く】という意識を常に持つべきです。

 

ライブ配信をする
重い荷物を持つ
充電切れに備える

 

こういう事態に対して、

そもそも我々は想定と1人でもどうにかなるための備えをしておくべきなんです。
ファンやサポーターの皆様の手を煩わせなくても乗り切れるようにしなければならない。

 

荷物が増えて重くなるから譜面台をわざわざ追加して持ってきたくない。

充電器は誰かに借りればいい。
遠回りしたくないから階段で荷物を持ってもらって、エレベーターやエスカレーターを探さない。

 

でも、譜面台を増やすのも、

充電器は携帯しておくのも、

エレベーターまで歩くのも、

我々がこのような活動をする中では必須かつ宿命なのでは。


当たり前に、自分でやらなければならないことなのでは。

いつも誰かが当たり前のように側にいて、
いつも誰かが言わなくても当たり前のように自分に何かしてくれる環境にいると、
人って、お礼も言えなくなるものなんですね。

 

そうして、善意は疑問に変わって
人が離れていくんだと思います。

 

それを他の人のせいにしたり、
ファンを取られたと言い回ったり、

挙句の果てにはあることないこと触れ回っている人がいるみたい。

 

実はそう言う事案に巻き込まれて、とても嫌な思いをしました。

正直めんどくさい、が勝つのですが、

私は日頃の行いや、人との付き合い方・礼儀、音楽とは関係がない細かなことまで気を配ってきました。

その積み重ねに確固たる自信があります。

それでも、不安になってしまう。

 

そして私は絶対にこうはならないんだと、反面教師にさせてもらう予定です。

 

 

悲しいよね。
何が悲しいって、
その人のお先の暗さが、悲しいですよね。

 

誰にも教えて貰えなかったんだな、

止めて貰えなかったんだな、

この先もそうなんだろうな、と。

 

 

その時になって求められても私は助けませんがね。

 

また次回。

 

紫野