Service
おはこんばんにちは。
紫野です。
最近コンビニ飯が日常化してしまって、
少しまずいなと思いつつ、でも時間もないし
スーパーが空いている時間にも帰宅できない、
という歯がゆい日が続いています。
自炊したいのにー。
ということで、本日の「Service(サービス)」というタイトルでは、コンビニに通いつめる毎日を送るうちに感じたことを書いていきます。
ちなみに、私がよく食べるおにぎりは
です。
ファミマの納豆巻きが一番好きです。
で、なんでこのブログに至ったかというと、
コンビニっておにぎりを温めてくれるサービスがあるじゃないですか。
【温めはどうされますか?】
っていうアレです。
キーマカレーとか焼きおにぎりとか、温めると倍美味しいんですが、いつも気になってしまうことがあって。
それで、自身の中での整理も兼ねて、
書き起こしてみようかなぁと思ったわけです。
私がまだ中学生とかそのくらいだった頃のコンビニの店員さんって、
温めお願いしますっていうと、
【袋少し切っても大丈夫ですか?】
って確認してくれた人がたくさんいたんですよね。
やっぱり自分が買った商品だから、
勝手に封を切られるとちょっと寂しくなったりするし、あの確認ってすごく意味があるものだったんだと思うんです。
でも今のコンビニの店員さんって、
確認すらせずに封を切ったり、
なんなら1600Wの電子レンジで加熱したら袋がパンパンに膨らんでしまうから、封を切ってから温めるということすらしないじゃないですか。
パンパンになった加熱済みのおにぎりを見て、
神経質さ故なのか、「うーん。」と思ってしまうんですよね。
マニュアルでも変わったのかなと思ったら、
店舗によって違う。
お店ごとの指導が行き届いていないか、
もしくはただただ個人の怠惰なのか、
どっちでもいいんだけど、
わたし的には確認をして欲しいし、膨らんでいないおにぎりがいいんです。
でも、ごく稀に、
確認もして、
わざわざハサミで切込みを入れて、
加熱をした後テープで切込みを塞いでくれるくらい丁寧にしてくれる店員さんに出会うんです。
一言で、【素敵だ】と思います。
多分、テープで切込みを塞げとまでは書かれてないと思うんです。
だってすぐ食べるし、レジに並ぶ時間もかかるし。
だけど、そういう人って、
何でそこまでしてくれるのかって考えたら、
意識的にしろ、無意識的にしろ、
「サービス」とか「仕事」というものに思いやりを持っているからだと思っていて。
「そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ…」
と思う反面、
本当に【素敵だ】と感じます。
やっぱり、どんな仕事や活動にも、目の前もしくは遠くには相手というものが存在するものです。
血の通った人間を相手にするから、
ちょっとキザな言葉を使うと、「真心」とか、
そういうものが大事なんだと思います。
人にされて嬉しいことを自分もしよう
っていうのは、多分こういうことなんだと思います。
それが、お金の発生するサービスだろうと、
頼まれてもないのに無償でやる、やらされるボランティアだろうと、
自分の目先に、【人】がいるという事実は忘れてはいけないんです。
こういう、本当にどうでもいい、
人によっては気に留めすらしないことに、
感動したりイラついたりする人間なので、
私にとって世界とはかなり生きづらいものなのかもしれませんが、
こういうことに学びを得られるのも特権ですし、
気疲れこそすれ、
こんな人生観も悪くない、はず。
ところで、皆さんにとって
「大変お待たせいたしました」
ってどういう意味だと思いますか?
さっきの店員さんの対応の話から派生させると、
私は決して、
「列が長くてすみません」とか
「混みあっているためお時間頂いております」
って言うことでは無いと思うんです。
そりゃ、コンビニですし、素早いほうがいいかもしれないよ。
でもさ、早くても商品雑に置かれたり、
動作の音が気に触ったり、
なにより「早くこの客捌けないかな」みたいな、
そういう対応って不愉快じゃないですか。
これも、(失礼な言い方かもしれないですが)いわゆる「怠惰」な店員さんと「丁寧」な店員さんとでかなり変わると思うんですけど、
後者が使う「大変お待たせいたしました」は、
ひとつひとつの業務にきちんと向き合っているからこそ、お時間を頂いております。
ってことなんじゃないかな。
いや、知らんよ?知らんけど。
ただ、
ひたすらに混んでいて、列が長くて顧客もイラついている中で焦ったり、自身もイラつきながら言う「大変お待たせいたしました」と、
それでも雑な対応はしない方の「大変お待たせいたしました」って、重みが格段に変わりますよね。
っていう、そういうお話でした。
私の考えすぎですかね。
また次回。
紫野