徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

舟出

おはこんばんにちは。

紫野です。

 

今日は、オリジナル曲の「舟出」について、ライナーノーツ的につらつら書いていきたいと思います。

 

原曲はこちら

https://www.instagram.com/reel/CjLRjDWg9Au/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

 

私は前向きな曲とか、明るい曲とか、

そういうものをこれまで作ってきたことがありませんでした。

自分には書けないと決めつけていた節もあります。

なんだか、

元々の性分がドン引きされるくらいネガティブなので、希望とか夢とか、そんなものは「所詮」、と思い留まってしまうことが多いみたいで。

夢をね、追いかければ追いかけるほど、

自分のことが分からなくなっていくような、

そんな感覚がしていたんです。

 

大好きなフジタ カコちゃんの曲ばかり聞いているからか、「海」というテーマで音楽のことを考えるようになって、

彼女の曲にある【群青】のように、

「夢という海は深く、あまりに広すぎる。」

と絶望していたんだと思います。

まだ駆け出して2年にもならないくせに絶望なんてお門違いだったと今になると笑い飛ばせる話でもあるのですが…

 

 

 

そんなときに、舟出を作るきっかけになった舞台【世界が朝を知ろうとも】のオファーを頂きました。

 

その世界で唯一訳が分からない設定は、

「人間が存在意義を失うとムシになってしまう。

虫になれば最後、二度と人間には戻れない」

「全てのムシは人間だった可能性があるから、採取も駆除も【殺人罪】【誘拐罪】として重刑に処せられる」

というものです。

簡潔に作品のあらすじを書くと、いや、これがまた全然簡単に書けないんだな。

ある女性がただただ運がないって話なんですが、

旦那さんが蒸発してしまったんですね。

子供が欲しかった彼女が妊娠したと同時に、

夫が音楽プロデューサーを語った詐欺師に引っかかって蒸発して、

絶望の中でも頑張って産んだ子供がカマキリだった。

 

っていう話です。

彼女は、それでも自分のお腹を痛めた子供だからと【淳也】と名付けて本当に甲斐甲斐しくお世話していました。

でも、やっぱりムシだから、

ストレスが重なってしまって、

ある時こう思うのです。

「カマキリなんかのために、人間の私が何やってるんだろう」って。

そして淳也を踏み潰してしまうんです。

女性がね、

カマキリを踏み潰しながら狂っていくんです。

その様子を観客の皆さんは見せられながら、

なぞに前向きな舟出を聞かされるというそれはもうカオスな劇中歌なんです。

 

脚本家の方と沢山お話をして、

私も沢山台本を読み込み、線を引いて、

なんだか国語の授業みたいだなーなんて思いながら、考え抜いた歌詞が今の歌詞です。

脚本家の方曰く、絶望的なシーンに明るい歌を歌うことで気持ち悪さを増したいとかってことだった気がします。

上手いなぁと思いながら制作に取り掛かりました。

 

ただ、途中からは、作品がというより、

私や私の周りの人のために、

その人たちが新しいどこかへ行きたい時、

背中を押せるものになって欲しいと思うようになりました。

 

夢、とか、そういうものだけじゃなくて

「生きる」という行為には常に【選択】が求められます。

場合によっては、行きたくなくても遠くに行かなければならない時が来る。

言いたくなくても別れを告げなければならない時が来る。

 

そんな時、心の中にあるものが【希望】だとしても、【不安】だとしても、

私たちは歩いていかなければならないから、

小さな小舟を漕ぎ出さなければならないから、

せめて空に星が輝いていて欲しいと、

そういう願いを込めて作りました。

 

太陽でもいいし、月でもいいし、

その他星でもいいんです。

何か一つ、

自分が信じられるものをぼんやりとでも見つけられたら、怖くても進めるような気がして。

 

私は臆病なくせに強がりだから、

リュックの中には希望とか夢とか、

そういうものを詰めると公言するのかもしれないけれど、

本当はきっとその何倍も大きくて重い不安とか、恐怖とか、そういう気持ちが入っているんだろう。

だから少しでも気持ちを軽くしたくて、

ジャムパンを一緒に入れるんです。

美味しいものを食べたら少しは落ち着くでしょ?

 

 

舟を漕ぎ出したらもう元の場所には戻らない覚悟を持って、

私は東京に来ました。

真っ直ぐ進路を取れているかどうか、

自信はありません。

自分が思っているより、

たくさん寄り道をしたり立ち止まったり蹲ったり、

そして逆走もしているはずです。

 

でもやっぱり空を見たら光ってるものがあって、

それが今、私の救いになっているんだと思います。

迷わないでいられるのだと、

迷っても戻ってこられるのだと思っています。

 

 

皆さんは、

今いる安息の地から離れなければならない時、

旅に出なければならない時、

何をカバンに詰めますか?

 

 

また次回。

 

紫野

 

Shout(叫び)

おはこんばんにちは。

紫野です。

2022/9/22、とんでもないメンタル状態です。

舞台稽古2日目、アラームをかけ忘れてお弁当を作れずに電車に飛び乗ります。

 

 

 

近頃、終電間際の山手線新宿駅では、

けたたましいサイレンの音を鳴らしながらたくさんの消防車や救急車がバスタ前に並びます。

歌う気に、なれない。

空を飛ぶ人が立て続けに出るからです。

 

消防車が去っても歌う気に、なれない。

 

安倍元総理が亡くなられた日みたいに、

そこにいること自体、自分がとんでもなく不謹慎な気がするからです。

でも目の前には私を見に来てくれている人がいて、萎えたから帰りますなんて、口が裂けても言えません。

 

歌いながら、考えてました。

私も空を飛びたいんじゃないかって。

消えてしまいたいんじゃないかって、

考えています。

 

そしてついに、9/22、自分を壊しました。

私はもともと、ものすごく気性のブレが激しくて、成人した今でもコントロールしきれない時があります。

それで、今日、自分の中に蓄積していたものが堰を切ったように流れてきてしまって、

戸惑いながら電話をかけたのです。

 

友達も、恋人も、頼れる人がほとんどいない私にとって、おそらくは「ファン」としての存在と、

私を1人の「人間」にしてくれる存在を兼任して下さる女性に電話をかけました。

明日は勤労感謝の日、つまり祝日とは言えど、

終電から降りたらもう時間は0:30を回っているし、非常識すぎて穴に入りたいです。

でも、駅を出て家に着くまで約60分、ひたすらに付き合ってくれました。

 

申し訳ない、といつも思います。

普段はテキストベースでやり取りをしている2人なので、電話はほとんどしないですし、

歳も離れているし、

そして何より、私がずっとジメジメ毒キノコを生やしているので、話を聞いて欲しいと思うこと自体に罪悪感を感じるのです。

 

そう、私は「人を頼る」ことがびっくりするほど苦手です。

相談するのが本当に苦手です。

 

鬱病にかかった大切な地元の友達から「しにたい」と電話がかかってきたとき、

話しながら自分も蝕まれていく感触を覚えました。

 

だからこそ、自分が誰かに胸の内を明かすということは、私だけがスッキリしてしまって、相手には不快な、くらい気持ちにさせてしまうのが怖いです。

私の口からは、ちょっとした不満とか愚痴とか、そういうものはたくさん出るのに、

本当に言いたいこと・我慢していることはほとんど言えません。

多分、皆そうだと思います。

でも私がいつも相談させてもらう方々のうち、

今日遅い時間に私とお話をしてくれた方は、

キノコ菌やカビを撒き散らすだけの私に、

なぜだかお礼を言うのです。

「エネルギーを自分に使ってくれたから、それってとてもすごいことだから」って言ってくれるんです。

お礼を言うべきは私の方なのに、

私は本当にただただ蛆虫をわかしているだけなのに。

そのエネルギー移動の理屈に関しては、

今の私には分かるようで完璧には解せないところがあって、しかもその解せないポイントも不明瞭なんですが、

もっと大人になったら分かるのかな。

 

まぁとにかく、今日、なんでブログに興したかというと、

叫んだ気がしたからです。

人間が誰しも抱えるそう簡単に他人に言えるわけが無い何かを、叫んだ気がしました。

 

苦しいとか、

辛いとか、

きついとか、

しんどいとか、

そういう気持ちを空に向かってではなく、

自分ではない誰かに吐き出したのはいつぶりだろう。

何でも「うんうん」と言って聞いてくれて、

「頑張ってるね」と肯定してくれて、

否定もせずに諭すように話をしてくれる彼女に、

山手線新宿駅で毎日人が死ぬと話を振ったあと、

私も死にたいと声に出して言いました。

帰り道を歩いている足が、信号もないのに止まって、マスクの中が涙でいっぱいになって、

「死にたい」と自分の口が言ったんです。

 

毎日、気がついたら口癖のように一人で

「しにたいなぁ」

とボヤいている自分が、

今日は明確な意志を持って

『死にたい』と言いました。

 

そしたら、彼女は

「死にたい」=「きつい」「しんどい」

ってことなんだよって言ってくれたのです。

 

私は、死にたい死にたいと普段からぼやきます。

でも、じゃあ早く空を飛べと言われても足がすくみます。

飛び込みも、怖くてできません。

痛いのは嫌だから手首も切らないし、

お腹はすくから餓死もできないし、

病気に蝕まれて死ぬならまだしも、

自分から川を亘りにいく勇気は結局ありませんでした。

 

でも今日、わかりました。

私はずっと、辛かったんですね。

きつかったし、

しんどかった、

苦しかったみたいです。

 

SNS

特にTwitterは意図的にツイートを減らしているし、

Instagramでも、

緑のストーリーを見れるのは僅か7人。

嫌なことがあっても、

自分に納得がいかなくても、

結果が出せなくて悔しくても、

自分自身が商品として音楽をしている以上、

そんな簡単に1人の人間としての「私」を見せることができないからです。

弱音は吐かない、がSNS運営上最大と自分ルールです。

 

でも彼女は、

私のことを応援してくれながら、

私に「夜」を与えてくれます。

「夢追う売れないアーティスト」

から、

「21歳ただの女子大生」

に戻してくれます。

 

私は今日、久しぶりに心が柔らかくなった気がしました。

音楽や、夢を追い続けて行くために、

徐々に鉄に変え、強くなったはずの心が

今日は普通の人間の心になった気がするのです。

人間として、ずっと我慢していた悲鳴をあげることができたと思います。

 

何が辛い、

どうして辛い、

 

原因は、思いつくだけでもたくさんあります。

ファンの方々との距離感が最近おかしい気がして、1歩引いてしまうとか、

チケット枚数が減らないとか、

見ず知らずの通行人にもらうペラッペラの応援に傷つくとか、

周りの人に置いていかれている現状とか、

比較癖が抜けないこととか、

自分がどうなりたいのか見失っていることとか。

 

こんな悩みには私一人が努力したところで変わらないものも多くあります。

だから我慢していました。

どうせなんも変わらんし、

と思って。

でも、ここで辛さを吐き出したことによって、

気休めかもしれないけどやっぱり出し切った気がするのです。

 

人間になりたかったんだなぁ、

叫びたかったんだなぁ、

 

と思いました。

皆さんにはかなりのご心配をおかけしているような気もしますが、

私は今特にとんでもないスケジュールを「歳すぎる…」と思いながらきちんと日々をこなしている中、

今夜、ただの女子大生に戻ることが出来て、

烏滸がましくも、

鐘が鳴って魔法が解けたシンデレラのように思いました。

自分は急いでお城を出たりはしないのですが、

とにかく魔法が解けた瞬間楽になったんですよね。

あー、また明日から「昼」の自分になれる、

魔法をかけてもらえる。

シンガーソングライター「紫野」としてやっていけると思ったのです。

 

 

 

 

 

また次回。

 

紫野

i (自分)

おはこんばんにちは。

紫野です。

お久しぶりですね、

なんだかいつも「お久しぶりです」的な文言を冒頭に書いているような気がします。

 

今日は特に、何かがあった訳でもないけれどブログを更新したくなって、「i」というタイトルをつけて書くことにしました。

 

コロナの影響でフルリモートになった大学の授業に対面のものが復活しだしたことを皮切りに、

2度目の上京をしてから今2年目、になります。

気がついたら4年生です。

卒業できるのかよく分からない限界大学生をしています。

 

前にもツラツラ綴ったことがあると思いますが、大学で顔を合わせる友人(と呼んでいいのか分からないほど希薄な関係)や、高校時代の友人(忘れられてなければ)、お世話になった先輩たちのSNSを見ると、ふいに不安に襲われる気分です。

 

「私は何をしているんだろう」って。

 

皆ね、たまにDMとかで話すと、

「○○は頑張っててすごいね」

「夢があって羨ましい」

って言ってくれる。

 

ずしっ、と心が重くなる。

 

それとは反対に、

私は名前もマスクの下の素顔も知らない人から

「歌ってるだけでお金もらってて羨ましいね」

「いつまで続けるの?」

「何のためにそんなことしてるの?笑」

 

「本気で叶うと思ってる?笑笑笑」

 

と言われる日々。

今、毎日必死に手売りしている120枚のチケットも、そう。

「へぇそうなんだ、すごいねw」

なんて、語尾に薄ら笑いの見えるぺらっぺらな皮肉という名の『応援』をもらって、

虚勢を張って「お礼」をする日々です。

もちろん、そんな人ばかりではないけれど。

 

褒められても、

応援されても、

罵倒されても辛いだなんて、

自分はなんて我儘なんだと思います。

 

本当に、

「すごいね」

と言われても辛いと感じることの方が多いです。

だって自分は、何もすごくないから。

頑張ってきた勉強・運動、

人並みもしくは人並み以上にできた学生時代を過ごしてきたくせに、

色んな可能性を捨てて、諦めて、

傍目から見たら「バカ」だと笑われる道を選んでいます。

怖くないわけがない。

 

人々が見ている毎日の報告動画の中の私がどう映っているのか分かりませんが、

正直毎日半泣きです。

最近では、路上で私という存在に気がついて応援してくれるようになった「ファン」の方々に勇気を貰っています。

でも、私は皆さんに見せているような明るくて、元気で、必死に努力しているキラキラした存在ではなくて、本当はもっとダサくてかっこ悪いんです。

 

私も、分からない。

私が何をしたくて、

何を歌いたくて、

どうなりたくて、

誰に会いたくて、

どこに行きたいのか。

 

これがいつまで続くんだろう。

引き際はいつなんだろう。

 

「夢」という場所が、嫌ほど遠い場所にあることは、それを追っている自分が1番知っています。

いつフェードアウトしてしまうのか、分かりません。

ギリギリのところで踏ん張っているんだと思います。

多分、やりたい事が違う人も、

私と同じように戦っている人も、

皆そうです。

やりたい事をやるためには、

なりたい自分になるためには、

やりたくない事もやらなければいけないし、

なりたくなかった自分にも出会うことがあるんです。

 

私よりも全然年上で音楽活動をしている方がね、

地元の友達から「まだそんなことしてるのか」って目で見られるんだ。

って言ってました。

私も、いつかそうなるのかなって怖くなる。

抜け出す方法もチャンスも見つけられていないのに、

ずっとこのままでいたいわけではないのに、

文字通り「身動きができない」まま、大学4年生の冬が近づいています。

春には、正真正銘「オトナ」になるんです、私。

…なりたくないです、私。

 

ただ1つ言えるのは、

なんで音楽なのか、と聞かれた時、

そこに理由なんてものはないということ。

 

勉強、恋愛、娯楽、趣味、お金、

生きていく上で必要な何かを1つずつふるい落としで行った時、

意図せずとも最後まで振り落とされなかったのが音楽だった、それだけなんです。

だから、離してはいけないと思った。

まだしがみついているべきだと思った。

それだけです。

多分、今は、

これがなくなったら自分が保てない。

 

だから、同級生・先輩後輩や親戚、家族、

いわゆる「普通」に生きている私の周りの人達から冷たい白けた目で見られても、

がむしゃらになれているんだと思います。

 

それが今の「i(自分)」。

また次回。

 

Free

おはこんばんにちは。

紫野です。

今日は、懐かしい気持ちを抑えるためのブログになりそうです。

常々感じている社会への不満を、ね。笑

昨日とある駅でお会いした男性が、

ストリートミュージシャンに足を止めておいてお金を払わないって言うのは俺は嫌なんだ。

と仰っていたので、

私もひと言物申したいなーって思ったんです笑。

彼は私に、表明する勇気をくれました。

また会えますように。

 

「Free」。

 

怒られちゃうかもしれないし 、

前にもブログに書いたことがあるけど、

私たち芸術に生きる人って 、

成功しようがしまいが苦しい思いや我慢をしながら、 ギリギリのところで戦ってるから、

無料なら!とか

路上だから!って 、

私たちが掛けているコストや思いをを平気で無下にするようなことを言う人が私は嫌いです。

 

好きじゃない

苦手

なんて遠回しな表現は絶対にしない。

これは私を守るため。

 

声を大きくして言いたいことは、

私たちは「タダ」じゃないということ。

 

であなたや他の人が働くのと同じように、

私たちは自分の時間や情熱やコストをかけている。

私たちに価値を感じてくれたなら、

傲慢かもしれないけれど、

帳尻合わせは必要だと思う。

あなたには働いた分、時給が出るだけ。

私たちには固定給がないだけ。

もしかしなくても、

音楽が社会に貢献していると認識されないものだから、

私たちのことを変わり者だと言う人がいるかもしれない。

馬鹿だという人がいるかもしれない。

大人になりきれてない、

往生際が悪いと思っている人がいるかもしれない。

「勝手に君が選んだ道なんじゃないか」

そう言われたら、もう何も言い返せない。

それでも、

私たちの努力が、時間が、お金が、涙が、

私たちを軽んじる言葉や行動そのすべてに、

無下にされる瞬間を想像してほしい。

どんな気持ちになるか、考えて見てほしい。

私が、間違っているかもしれないけれど。

 

「聞いてやったじゃないか」

「大事な時間を使ってあげたのに」

 

そんな風に思われたらそれまでだけれど。

でもね、

あなたが今、もしくはあの日、

そこで足を止めたアーティストには、

あなたが時間を使い、

ノイズキャンセリングしているAirPodsを片耳だけでも外して、

或いは持っていた荷物を道においてまで

「足を止める」価値があったこと、

「聞く」価値を、

魅力を感じたからであるということ、

忘れないでください。

 

私たちを軽んじる人は、大体

「感動した」「すごい」 っていうよな、と、

こういう地道な下積みを1年毎日続けてきて思うようになりました。

その裏に 「でもお金をかけてまではね笑」 が透けて見えるのが辛くて、

今回新たに私にチケット手売り120枚という目標ができた時、

また痛感したのでブログにしました。

 

昨日のツイートにはもう書いたけど、

だからといってそういう人ばかりじゃないことが私にとっては大きな救い。

決して安くはない3000円のチケット、

1時間で稼げる人もいれば、

3時間かけて稼ぐ人もいるでしょう。

 

初対面の素性のしれない私に、大切な時間を、予定を止めてまで見てくれて、

「チケットいくらですか」と聞いている瞬間、

彼は、彼女は、どんな気持ちだったんだろう。

使う予定のなかった3000円を、

もしくは目当てのものに使う予定だったそのお金を、

偶然行った駅で、

たまたま見つけたぽっと出の路上ミュージシャンに払う、

 

これがどれだけすごいことか、本当に形容しがたいものです。

簡単に分かられては、想像されては困るほどに。

 

初めて知らない人が私のワンマンライブチケットを手に取って下さった時のあの感動は一生忘れません。

忘れられないし、忘れたくない。

今思い出しても涙が出る瞬間でした。

1ヶ月半、1枚も売れなかった。

今日もダメかと、毎日半ば諦めていた。

でも新宿の東口で、私をみつけてくれたサラリーマンの男性。

リクエストを頂いて、リトグリを歌いました。

最後の曲まで歌いきって、

肩を落としたあの瞬間、

「行けるかわからないけど、チケットをください」と3000円差し出してくれたあの男性の顔を1度も忘れたことがない。

夢を追うことの辛さと、

1歩進んだだけの嬉しさ。

それを、私はまた今年、去年と同じような時期に感じることが出来ました。

 

 

だから、私は自分には価値があると思えるようになった。

チケットが売れる度、日々感謝と戸惑いと、幸福感に包まれました。

113人の前に立ったあの日、これが自分が選んで歩いてきた道の先にあったものだと噛み締めることが出来ました。

あの113人のお客様のおかげで、私は自信と誇りを持つことができ、

もしかしたらそれが今となっては驕りになっているかもしれないけれど、

私の原動力となっています。

 

あなたが瓶に入れる100円が、

私にとってどれだけ大きいものか、

きっとあなたには分からない。

でも、自分に価値がつく瞬間なんです。

報われた気分になります。

すごく。

 

 私の心は直ぐに錆びれてしまうから、

あなたが発する言葉ひとつがとてつもないストレスに変わったり、

泣いてしまったり、

毎朝が嫌になったりします。

でも嬉しいこともそうじゃないことも、確かに私がその日を生きた証だとも思う。

 

さぁ、今日も戦いだ。

明日を生きるための戦いです。

行ってきます。

 

また次回。

 

紫野

Behind

おはこんばんにちは。

紫野です。

7月の中旬に病気になってしまった旨を打ち明けてからまた更新まで日が経ってしまいましたが覚えてますか。笑

 

先日、リハビリという名目で1日1本、調子を見て2本ほどと調節をした上で路上という戦場に戻ってきました。

病名の公開直後から今に至るまで、友人、知人、先輩後輩、そして日頃応援して見守ってくださっている皆さまからオンライン上でも、対面時でも多くの暖かい言葉を頂き、至らなさと同じくらい幸せを感じています。

この種の幸せとやらは、おそらく病気になったから感じられる幸せなんじゃないかと思うのです。

誰かに心配してもらえる、

見守ってもらえる、

ということは多分、ワンマンライブを成功させることによる達成感や高揚感から来るものではなく、

「いつも見えているようで実は見えてなかった」もの。

そういう風に思います。

 

私はストリートに立つ時、駅も時間も詳しいことはあんまり書かないスタイルで、

それは第1にマンネリ化を防ぎつつ、新しい誰かさまと出会うことと、もうひとつは単に告知したところで誰かが来てくれるということが極端に少ないため、自分が虚しさを感じないようにするという意図があります。

あとは自分がお待たせしているという意識を持つことによって負担に思うこと、ストレスになりうる状況を回避するためっていうのもかなり大きいんですが、やはり1番痛感するのは2つ目の理由の大きさじゃないかな。

 

同僚はツイート1つで何人もファンの人が駆けつけてくれて、

最後まで見守ってもらえる人が多いのに、私は、、、、

というのが始めた当初から多くて、

その人たちのことは本当に大好きなのに、

隣りで歌うのがすごくストレスで、

告知するのが嫌になりました。

「私」を目当てに駅に足を伸ばす人ってどれくらいいてるんだろう。

そう思ったことがあります。

 

そういえば、

「今日は○○さんを見に来たんです。

そしたら紫野さんがいたから寄ってみました」

この言葉を何回面と向かって言われたことか、

「ありがとうございます」と返すことは出来るのに、本当は嫌で嫌で仕方がなくて、

惨めな気持ちがして、

告知するのやめようって思ったんです。

そう言われる度に自分が錆れていく感覚や、

心の中のモヤモヤした気持ちや、

どす黒い気持ちに飲み込まれそうになって、

告知するのやめよう、バカバカしい。

そんな風に思って、辞めたんです。

Twitterで路上アンチのエゴサにひっかかるのも馬鹿げてますから。

でもいつまで経っても、

 

結局自分は、「1番」にはなれないし、

これから先もなれないんじゃないか。

 

そんな気がします。

寂しいことを隠すために1人を選ぶ、そういうスタイルを取りました。

自分を強く見せるために選んだスタイルです。

辛いことの方が多いけれど、今、あの選択を後悔したことはありません。

歩みも遅くなるだろうし、

本当に時間がかかるだろうけれど、

それでもいいと思ったんです。

 

少し話が脱線したようなしてないような気もするけれど、

だからこそ今回、

私に起こっている悲しい体の現状に対してこんなに沢山のお気持ちを頂くことになると思っていませんでした。

そして今、振り返るきっかけになったんだと思っています。

今まで進んできた狭くて細くて雑草だらけの乾いた道を進む私の後ろを振り返って、

シンプルな「愛」の存在に気が付きました。

私は1番にはなれないけど、

ひとりぼっちでは無かったことに気が付きました。

1番は、これから先の長い未来で目指すことにします。

 

それで、せっかくブログを書いているので、

最近よく頂く

「体はどう?」という質問に率直にお答えする機会にもしたいと思います。

 

今のところ、体に目に見えた変化はありません。

そんなに急ピッチで進む病気ではないみたい。

卵管炎と内膜症は処方されたお薬のお陰で、

のたうち回っていた時のような痛みも無くなりました。

完治かどうかはまだわかりません、

治療は続くと思います。

子宮頸部異形成に関しては、

本当に分からなくて、

今のところは何も言えません。

「子宮頸がんなりかけ」という状態なので蔑ろにすることも当然できないし、

実家で療養していた時に行った検査の結果を今月末にまた聞きに行って、それ次第です。

長く薬剤と付き合っていくことになるかもしれないし、時期を見て手術して切除するかもしれません。

だからといってなにも異常がないのにthe 病人になるのも嫌だなと思います。

病名を宣告された時、しばらく本当にフリーズした後に1番最初に思い浮かんだのは「音楽どうしよう」の一言でした。

家でじっとしている間に置いていかれている気がするのはやはり辛くて、動画にシフトしてできることを、と考えて動いていた約2週間弱も、

焦ってばかりでした。

 

「休む時は休め」と言われ、

体がそれを求めていることがわかった時、

情けなくも「止まる」「休む」方法が本当に分からなくて、そしてギターを握らない時間が余計に病気を進行させてしまう気すらしたのです。

 

でも、約1ヶ月という時間が経ち、

自分も自分の周りの眺めも動き出した時、

もしあの時末期ですって言われたとして、

どんな反応をしただろうかと考えたんです。

 

フリーズするとか、

涙が出るとか、

不安になるとか、

「音楽どうしよう」までは同じだったと思います。

ただ、落ち着いてから考えたら、

本当にあれで死んでもよかったんです。

いつ死んでもいいと思える人生をこれまで生きてきた自信があります。

 

できることならもっと大きな舞台に立ちたかったって思うけど、

それでも安心して受け入れられるんじゃないかなって、落ち着いた今は思うんですよね。

 

別に感動させたいとか、

小説チックな表現をしたいとか、

そういう訳じゃなくて、

ただ本当に

「あれで死ぬと言われてもよかった」

って思えるビハインドが私の人生には詰まっていると言う確信があります。

22歳の誕生日、学士資格の取得・大学卒業を待たずして死ぬとしても、

両親の還暦に北海道旅行をプレゼントできなくても、悔いはなかったと思います。

これはちょっと大袈裟だったかな?笑

 

ブログを計画的に書くことができないので、

それこそ自分の心に素直に従った結果が、

今回の「Behind」です。

急に書きたくなったの。

私の体を心配してくれる方にも1度、公式的に現状を報告する必要があるとも薄々思っていたので、今のところはこういう感じです、というご報告も含めてこのブログをリリースします。

 

私の後ろには思ったより私を大事にしてくれる人が両親以外にもたくさんいて、

私の生きてきた人生の道の後ろには悔いが1つもないという、2つの「Behind」を今回のタイトルに選びました。

 

まあ大丈夫、まだ死なんよ。

またすぐにお巡りさんの売り言葉に買い言葉を投げてバトり出す元気な私が現れます。笑

またやってるよ、くらいの苦笑いで見ていてくださいな。

 

 

また次回。

 

紫野

 

 

追記

先日、

個人のYouTubeチャンネル・「ちゃおず。ch」が800人、さらにストリートでの様子をもっちゃん。に御協力・運営して頂いているYouTubeチャンネル・「崖っぷちのシニョ」が200人を達成しました。

いつも見守ってくれる皆さんに心から感謝申し上げます。

まだまだ走り続けていきます。

応援よろしくお願い致します。

 

SNS

 

Instagram

https://www.instagram.com/sn_r_l

 

Twitter

https://twitter.com/sn_r_l

 

個人YouTube「ちゃおず。ch」

https://youtube.com/channel/UCdlbfnrJzD95HEVb49SxZYA

 

路上ライブ専用YouTube

『崖っぷちのシニョ』

https://youtube.com/channel/UC1WHqJDjDz3lShETdNkWX9Q

 

 

現状と今後について

日頃応援して下さる皆様へ

 

本日、一昨日から入院していた消化器系の病院を退院し、
しばらく自宅で療養することになりました。
第1診で「盲腸」を疑念されましたが、
精密検査の結果、問題があったのは消化器系ではなく子宮だったことが分かりました。
現在は、卵管炎・子宮内膜症と併発して、
「子宮頚部軽度異形成」という状態で、
簡単に言うと子宮頸がん一歩手前という診断です。
今は1つずつ病気を治していくということで
強目の薬を頂いて来週さらなる精密検査を受けることになっています。
「まだガンになり切ったわけじゃなくてよかった」
という安心感と、予想もしていなかった医師からの病状告知に対する大きなショックが同時にあって、
1番最初に「音楽できなくなるのかな」って思いました。

頭が働かないってこういうことか、と21年生きてきて初めて思いました。

 

思えば、ストリートライブを始めとして「誰かの前で歌う」「音楽で食べられるようになる」ことを夢に掲げるようになってから、

もともとの性分にも相まって、より「休む」「サボる」といったことをしなくなりました。

1日ギターを触らないだけでものすごい罪悪感と嫌悪感と、そして何より「周りに置いてかれる」という焦りがあったんだと思います。

人の2倍努力しても追いついたり並んだり出来ないのに、自己満足の努力で音楽をやることに対してすごく嫌な気持ちがあって、

「自分にできること」が何かを考えた時、

残っていたものは「継続」だけだったからです。

3倍4倍の量と努力をこなして初めて人と並べるし、追い越せる部分が出てくるんだと感じ、

「やりすぎ」な状態を続けないと自分に自信が持てずにいました。

大事な資本である「身体」に異変が出るまで睡眠不足や栄養失調、過労・心労に見ないふりをしていたのだと思います。

将来的に、普通に家庭を持って自分によく似た子どもを産みたいと思っている自分には子宮に病気が見つかったことがとてもショックで、診断を受けてから何時間経っても頭の整理がつきませんが、今は、日頃の無茶な生活スタイルや不摂生、暇嫌いを見つめ直すための最後のチャンスなのかなぁと思うようにしました。

 

ただ、ものすごく早いスピードで「ガン」と呼ばれる状態まで進んでしまうことではないということだったので、できることから治療していって経過観察ということになるそうです。

1歩手前で止まってくれているうちに、この先も自分がやりたい音楽を気が済むまで戦えるように、きちんと病気と向き合う時間を作りたいと思います。

そこで、もともと最大で2週間のお休みを頂く予定で計画を立てていましたが、延長して4週間ほど静養に努めることにしました。

ストリートには約1ヶ月出ないことになりますが、その間にできることはたくさんしていきますし、11/12のフェスに向けて、また9/28-10/2の舞台公演に向けて、頑張っていきます。

 

急な話でビックリさせてしまったかもしれない、ごめんなさい。

 

これからも応援して頂けると幸いです。

 

 

紫野

Farewell

おはこんばんにちは。
紫野です。
7/8、金曜日。
2022年、この日本という国で、
どうしてこんなに衝撃的なことが起こったんだろう。

情けないですが、悔しさなのか悲しさなのか、混乱なのかも分からない涙で視界がかすんでいます。
私には語り癖があって、
本当は何も言わない方がいいのかもしれない
って常々思うのですが、
今日もきっと、何も言わない方がいいのかもしれないと思うのですが、
でも言葉にしないとずっとつっかえている気がして徒然草を更新しようと決めました。

2001年9月11日、私が生後8花月の頃、
NYで起こったテロ事件。
宗教者に文明機器が乗っ取られるという史上最悪のハイジャックが起こりました。
歳を重ねてから知ったことなのに、
とても衝撃的だったことを覚えています。

アメリカだしな」
って思ってたんです。

21年の月日が流れて、2022年7月8日の今日、
早く起きたのにまだ大丈夫かと思って二度寝をしたら一限(9:00)が始まる時間だった。
とかいうふざけた一日の始まりを迎え、ノロノロ二限にも遅刻して言った私が、授業終わりに何気なく開いたTwitter

安倍元首相が、撃たれた。

速報が流れてきたのです。

ショックだった。

銃?
自作?
自衛官

信じられなかった。
だってここ日本ですよ。

搬送先でご家族に看取られて逝去されたという訃報なんかもっと信じられない。

政治家のほとんどが穀潰しの無能だとずっと小さい頃から思ってました。
勉強をすればするほど不明瞭な実態、
使い道の分からないお金、
何も変わらない社会。

投票、大人になったら何でしなきゃいけないんだろう。
投票して、何を変えてくれるの?

そう思っていたのです。

彼にも当然、不明瞭な部分はあったし、
アベノマスクがどれだけ効果を及ぼしたのか、私には分かりません。
でも、殺められていい命ではなかったはず。
どこの誰とも知らない男性に、奪われていい命ではなかったはず。
不満があったら人を殺していいのだろうか。
この21世紀は戦国時代か何かですか?

この国は、ナチ下のドイツか何かですか?

革命後のカンボジアですか?

ここは、日本です。
ここは、日本なんですよ。

「人は殺しては行けない」
そんな法律がなくても、
そんなレベルのことに頭を悩ませるような人が比較的少ない国なんです。
当たり前だから。
武器じゃなくて、
力じゃなくて、

声や態度で、票で、

戦うことの出来る国だったんです。

でも、もう変わってしまった。

選挙に行くことが、
「偉い」と謳われる世界になりました。
政治に関心がない若者が多いこと、
麻生大臣は国がよく回っている証拠だという旨のコメントをしていたけれど、私は恥ずべき事実だと思います。


毎日毎日、当たり前みたいに
「今日、○○で誰それが殺害されました」
なんてニュースが流れるくせに、
殺害された人が著名であるほど騒ぎが大きくなっていく仕組みも意味がわからないし、
誰かが亡くなった、なんていうニュースが、
「可哀想にね」
って言葉で簡単に終わらせられる世の中であること、すごく悲しいと思います。
人の命はみんな平等で、
川を渡ってしまったら皆同じように悲しむ人がいて、 本当はすごく怖いことなんです。
明日は我が身かもしれないんだから。


こういう事件が起こると、模倣犯が出てくる確率が上がります。
真似をする子供がいるの。
ソシオパスと呼ばれる類の人間、
サイコパスとして目覚めてしまう人間、
「人を殺してみたい」なんて衝動で自身の祖父を殺害してしまった17才事件みたいなことが、
有り得るのです。
綺麗な社会とは言わない。
でも、導かなければならない。
教えなければいけないのです。
40歳にもなって、そんなことも分からないなんてみっともない。
情けないですよね。
気に入らないから、不満があるから殺した。
ゲームじゃないんです、現実世界は。
3Dプリンターで銃は作れても、
人間はもう動かないんですよ。

あの犯人がこの先どうなるんだろう。
そう思って、調べてみました。

武器を製造したら懲役3年ほどでした。
銃刀所持も同じくらい。
殺人罪は故意的な犯行の場合は大体5年、
内容によって10-15年に伸びる場合もあれば、
極刑になる事もあるようです。
15年、彼が塀の向こうで過ごして出所した時、
安倍さんは戻ってきませんよね。
犯人が極刑に処されても、
安倍さんはもう戻ってきませんよね。

もう彼がお肉がジューシーで美味しいって頬張るところは見られないんですよね。
刑期も罰金も、本人に償いの意思があっても無くても、ご遺族や支持者にとってはなんの意味も持たない。
法治国家といえど、こんなにやるせないことってあるんだなと、心から思いました。





安倍さん、
愛妻家として有名でしたよね。
滑舌が悪くて、ちょっと愛嬌がありました。
議事堂内での早口論争、割とすきでした。

小泉さんでさえ一瞬で頭が真っ白になってしまうほどのストレスフルな環境で日本のリーダーを2回、
そして今回の出馬。

改善された何かを実感はできなかったものの、
「この国のために」「日本のために」と文字通り、
人生を、
命を賭してくれていたことは馬鹿な私にも分かります。

お門違いですが、
情けなくも涙が出てきてしまうのです。
理由はよく分かりません。
でも労りたい。
あの場にいた阿部さん以外の誰にも被害が及ばなかったことに安堵されているのではないでしょうか。

人は、いつ死ぬんだろう。
人は、いつ泣いたらいいんだろう。

血縁関係も面識もなく、
大したストーリー仕立ても、
作り込まれたシナリオもないのに、
誰かのために泣くのは初めてです。

せめて、どうか安らかに。
暖かい日差しと、
やわらかい風と、
綺麗な花に包まれて良い夢を見ていて欲しい。

安倍晋三さん、

謹んで、ご冥福をお祈りします。


また次回。

紫野