徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

i (自分)

おはこんばんにちは。

紫野です。

お久しぶりですね、

なんだかいつも「お久しぶりです」的な文言を冒頭に書いているような気がします。

 

今日は特に、何かがあった訳でもないけれどブログを更新したくなって、「i」というタイトルをつけて書くことにしました。

 

コロナの影響でフルリモートになった大学の授業に対面のものが復活しだしたことを皮切りに、

2度目の上京をしてから今2年目、になります。

気がついたら4年生です。

卒業できるのかよく分からない限界大学生をしています。

 

前にもツラツラ綴ったことがあると思いますが、大学で顔を合わせる友人(と呼んでいいのか分からないほど希薄な関係)や、高校時代の友人(忘れられてなければ)、お世話になった先輩たちのSNSを見ると、ふいに不安に襲われる気分です。

 

「私は何をしているんだろう」って。

 

皆ね、たまにDMとかで話すと、

「○○は頑張っててすごいね」

「夢があって羨ましい」

って言ってくれる。

 

ずしっ、と心が重くなる。

 

それとは反対に、

私は名前もマスクの下の素顔も知らない人から

「歌ってるだけでお金もらってて羨ましいね」

「いつまで続けるの?」

「何のためにそんなことしてるの?笑」

 

「本気で叶うと思ってる?笑笑笑」

 

と言われる日々。

今、毎日必死に手売りしている120枚のチケットも、そう。

「へぇそうなんだ、すごいねw」

なんて、語尾に薄ら笑いの見えるぺらっぺらな皮肉という名の『応援』をもらって、

虚勢を張って「お礼」をする日々です。

もちろん、そんな人ばかりではないけれど。

 

褒められても、

応援されても、

罵倒されても辛いだなんて、

自分はなんて我儘なんだと思います。

 

本当に、

「すごいね」

と言われても辛いと感じることの方が多いです。

だって自分は、何もすごくないから。

頑張ってきた勉強・運動、

人並みもしくは人並み以上にできた学生時代を過ごしてきたくせに、

色んな可能性を捨てて、諦めて、

傍目から見たら「バカ」だと笑われる道を選んでいます。

怖くないわけがない。

 

人々が見ている毎日の報告動画の中の私がどう映っているのか分かりませんが、

正直毎日半泣きです。

最近では、路上で私という存在に気がついて応援してくれるようになった「ファン」の方々に勇気を貰っています。

でも、私は皆さんに見せているような明るくて、元気で、必死に努力しているキラキラした存在ではなくて、本当はもっとダサくてかっこ悪いんです。

 

私も、分からない。

私が何をしたくて、

何を歌いたくて、

どうなりたくて、

誰に会いたくて、

どこに行きたいのか。

 

これがいつまで続くんだろう。

引き際はいつなんだろう。

 

「夢」という場所が、嫌ほど遠い場所にあることは、それを追っている自分が1番知っています。

いつフェードアウトしてしまうのか、分かりません。

ギリギリのところで踏ん張っているんだと思います。

多分、やりたい事が違う人も、

私と同じように戦っている人も、

皆そうです。

やりたい事をやるためには、

なりたい自分になるためには、

やりたくない事もやらなければいけないし、

なりたくなかった自分にも出会うことがあるんです。

 

私よりも全然年上で音楽活動をしている方がね、

地元の友達から「まだそんなことしてるのか」って目で見られるんだ。

って言ってました。

私も、いつかそうなるのかなって怖くなる。

抜け出す方法もチャンスも見つけられていないのに、

ずっとこのままでいたいわけではないのに、

文字通り「身動きができない」まま、大学4年生の冬が近づいています。

春には、正真正銘「オトナ」になるんです、私。

…なりたくないです、私。

 

ただ1つ言えるのは、

なんで音楽なのか、と聞かれた時、

そこに理由なんてものはないということ。

 

勉強、恋愛、娯楽、趣味、お金、

生きていく上で必要な何かを1つずつふるい落としで行った時、

意図せずとも最後まで振り落とされなかったのが音楽だった、それだけなんです。

だから、離してはいけないと思った。

まだしがみついているべきだと思った。

それだけです。

多分、今は、

これがなくなったら自分が保てない。

 

だから、同級生・先輩後輩や親戚、家族、

いわゆる「普通」に生きている私の周りの人達から冷たい白けた目で見られても、

がむしゃらになれているんだと思います。

 

それが今の「i(自分)」。

また次回。