徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Lady

おはこんばんにちは。
紫野です。
今日のタイトルは「Lady」。



実は昨日、すごく辛いことがあって
とんでもなく早くに床に着きました。
なんと、19:00すぎです。
なんともくだらない理由で、
自分がこんなに崩れやすいことに気が付かされた夜でした。
非効率だと思っていたことに気がついたらどっぷりハマっていたらしくて、
抜け出したと同時に自分の中で何かが崩れました。


いつも見ているポイちゃんの猥談TV定時更新を待つことも無く、
毎日必ず触っていたギターちゃんに触れることもなく、
18:50頃にようやく片付いたお仕事の後
PCをつけっぱなしにして、
ブログにしようと悩み、
そういえばロシア・ウクライナ問題についても書き進めなきゃとか思いながら
結局何も書かず、
調べもせず、
椅子にもたれてぼーっとして、
もぞもぞと硬いソファベットに入りました。

「明日になればまた」

と思って、とにかく目をつぶったけれど
夢の中でも、朝日に瞼を細めても、
私の瞼は腫れたままでした。
出社の予定がどうしても崩せないから、
仕方なくシャワーを浴びました。
全部綺麗になると思っていたのに、
何ひとつ洗い落とすことは出来ずに、
ずっと汚れたままでした。

今日、Ladyというタイトルを作ったのは、
出社中に大人ってすごいなと思ったからです。

私はまだあと1年大学生でいられます。
つまり、私はまだいろんな理由をつけていろんなことから上手に逃げられるのです。
逃げて、さぼっても、
そこでなにか損失が出てしまうわけでも、
人様に迷惑をかけるわけでもないからです。

気乗りしないとか
落ち込んでいるとか
会いたくない人がいるとか

そんな下らない理由で大学を休んだとして、
別に教授たちにとっては、単位を取りに来ているだけの学生が1人2人休んだところで何のダメージにもならないし、
学生にとっても、
そんなに高くつくわけでもありません。
たった1回分、知見を得る機会がなくなり、1回分、年間70万円ほどかかる学費を無駄にしてしまう代わりに、
おそらく心の安寧を得られるのだと思います。
私はその1回が怖くてあんまりサボらないんですが。

でも今日は、お仕事です。
休みたくても休めないし、休みません。
行きたくないけれど、
ご挨拶しなければならない方がいるので出社します。
ランチの約束があるのでお弁当もサボりました。
重たいPCを鞄に入れて、
スウェットを脱いで、
ボサボサの髪を乾かして纏めてセットして、
ひどく腫れた瞼にもメイクをしました。

鏡の中の私は、
夜が明けてもずっと酷く泣きそうな顔をして、
なんならシャワーを浴びながらも涙がずっと止まらなかったのに、
綺麗に色づいていました。
まつ毛をしっかり上げました。
前髪も失敗せずに巻けました。
珍しくワンピースなんかも着て、
血色の悪い口紅を赤く塗って、
いつも通りの私を演じるためにメイクをしました。

大人ってこういうものか。

嫌なことがあっても
辛くて沢山泣いても
皆こうやって何事も無かったように取り繕って
自分を綺麗に見せて出かけていく。

私はそういう「女性」の1人になっていくんだと思いました。

駅までの道にあるお店の窓ガラスの中を歩く自分が綺麗に見えたのは初めてでした。




昨日は自分の至らなさを突きつけられて
でも多分、
アーティストとして、
人として、
自分のこれまでの人生や、
それに伴ってきた経験や知見の中にはないデータをもらう機会だったのだと思います。
これはもう、
ただ私が強がってるだけなんですが、
こうでもしないと自分を保てないような人間なんだなと思うに至りました。

気がついたら枕がびっしょりで、
何故か曲ができている。
まだメロディには起こしていないけれど、大体のイメージが浮かびました。
こんな時まで自分は音楽のことばっかり考えているんですね。

アーティストとして以前に、
人として、
欲しいものは沢山あるけれど、
私たちはもう大人だから、
教えて貰えることの方が少なくなりました。
「教えて」と言えない歳になりました。
「言わなくても分かるでしょ」
「もう無理なんじゃない。
だって人って、
今まで生きてきた全てが積み重なって
その人になるんだから、
今更変えていくなんてものすごく時間かかるじゃない」
と言われる歳になっているのです。
別に私は何を言われた訳でもないのですが。
自分で考えて、
失敗して、
悔しい思いをして、
これから先、
そうすることでしか私たちは成長も成功も出来ません。

だからせめて、
100を語ってもらわなくても
10を学び取ってやろうと思います。
1でもいい。


人から全部教えてもらうのはつまらないし、
多分それはわかった気になるだけで、
実際には私に利益をもたらすものではないからです。
ちゃんと自分で感じなければ。
肌で感じて、
脳で考えて、
そうやって少しずつ、
私が持っていない言葉や、
立ち振る舞いや、
あるべき姿、
ひいては「本来の自分」を見つけたり
形作ったりしていきたいなぁと思ったわけです。
足りないものがこんなに沢山あったのだと知るだけで、昨日の涙は有意義なものでした。
無駄になるとしたら、
これから私がメソメソする時間だと思います。
いつまで引きずるのだと、
早く切り替えろと、
そういう時間に対して、
私は無駄な時間を過ごしていると思う気がします。

嫌なことを忘れるって、
厳しいことを言われてからそれをプラスな思考に変えることって、
誰にとってもすごく難しくて、
やっぱり時間に身を委ねるしかありません。

もしかしたら、

我慢し続けた結果、
またボロボロになるかもしれない。

ある日突然、なんで自分はあんなに思い詰めていたんだろうと思うようになるかもしれない。

寂しさの穴を埋められるようにもがいて
また虚しくなるかもしれない。

空元気で周りの人を心配にさせるかもしれない。

変われない自分を見て、
全部投げ捨てたくなるかもしれない。



正直なところを言うと、
何が正解で、
どうしたら楽になれて、
どれをどう受け止めたらいいのか
っていうのは分かりません。
だからこそ苦しいと感じます。


でもこれが、生きているということで
これが人と関わるということだと思います。

そして私は諦めたくない。

ひとりぼっちだったら
こんな風に心が揺れ動くことも
悔しくなることも
悲しくなることも
ワクワクした気持ちも
あれこれ考える必要もありませんでした。

努力が足りなかったんだと思って
また精進します。

多分、昨日のことは、お金を払って聞くよりももっと有益なことで、もしかしたら
というかとしかしなくても
相手にとってはただの時間の消費だったのかもしれないけれど、
それを私がきちんとインプットして、
アウトプットすることでお返しができるように、

Artistとして、
Ladyとして、
「ちゃんと」できるようになりたいです。


また次回。


紫野