徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

If

おはこんばんにちは。
紫野です。
最近、全く私のことを知らないのに読者になってくださる方が増えて嬉しいです。
PCでブログを書く時は結構いろんな機能が使えるのですが、スマホはまだ不慣れなのでタグのつけ方がわかりません。。。

はてなブログ、初めて1ヶ月と少しが経ちました。

綺麗な言葉を探したり、調べたり、
英単語に触れる機会を作ったり、
音楽人としても、人としても、
自分を着飾らずに、弱いところも魅力もたっぷり詰め込んだコンテンツを作れればと思っています。

でもどうしても
承認欲求って上手に隠せなくて、
読者の方からすれば、
「すごい、認められたいのかなこの子」
とか
「可哀想と思われたいのかなこの子」
とか、
少なからず思う方もいらっしゃると思います。

なるべくそういうものを隠せるように表現力を養っていきたいものです。


さて、前置きがいつもよりかなり長いですが、本日立てたテーマは「if」。

私が、今もこうして音楽を志していなかったら

というテーマで綴ってみたいと思います。


Twitterにちょくちょくあげている自炊の写真をご覧になったことがある方がいらっしゃると思いますが、もし、もしですよ?
私が音楽、途中で諦めたり、
そもそも始めていなかったりしたら、
私は多分調理の学校に進んでいたと思います。

初めて包丁を握ったのは3、4歳の頃でした。

私の実家は当時裕福ではなかったけれど、
土日の朝ごはんに出てくる卵焼きの中にハムが入っていて、それがすごく高価で美味しいものだと思っていました。

いつもは具なしの卵焼き。

土日になるとハムが入るんです。
ベーコンの時もありました。

自分で作れるようになりたくて、
母と一緒に台所に立ちました。

当時は子供用に安心が担保された包丁なんかほとんど売っていなかったし、
実家は元々、子供に何かをさせるためにわざわざ子供用の道具を買わない家でした。
大人用のよく切れる包丁を使って、
初めてハムを細かく切って。
母の背中を見ながら少しつまみ食いをして
「こら」と怒られる時間が好きでした。

まだ小さい私の手のひらに収まりきらない卵を一生懸命コンコンして叩いたのに、
大体殻が入ってしまうので、
いつも悔しい気持ちを感じていました。

上手く割れないとムスッとしていると
父が出てきて、片手で上手に卵を割るんですね。

「ほれ見ろ、さすが俺」

みたいなドヤ顔で卵だけ割ってまたTVを見に戻るんです。
その時はウザイとかいう言葉がなかったので
母が「ちょっと〜」と茶化し、
私も「ねぇ〜!」と言いながら、
そういう台所でした。

フライパンを使えるようになったのもこの頃からでした。
お箸で卵焼きを巻くのはまだ微妙に難しくて、いつも大きなヘラで焼いていました。

焼いた卵焼きをまた自分で、
包丁を使って切って、
バレないようにつまみ食いををする。

母はなぜかいつも振り返って、
「こらっ、頭の黒いネズミさん」
と私に声をかけてきました。

頭の黒いネズミさんっていう言葉は、
21になった今でも言われます。
帰省した時もつまみ食いは健在です。

母がいつも、
「美味しい」と言って食べてくれるので、
気分が良くなって、
上履きを自分で頑張って洗っていました。
なぜか幼稚園も小学校も、
上履きは週末に持ち帰らなければならず、
しかも私の家は上履きは絶対に自分でたわしで洗って洗濯機で脱水して乾かさなければ行けなかったので、
親に洗ってもらったことはありませんでした。

今思えば母の策略だったのかもなんて思ったりもするわけです。

そんなこんなで、
幼少期に卵焼きを作るようになったのがきっかけで、毎週土日の台所は私の場所になりました。

お米の炊き方を教わりました。
ゆで卵の作り方も教わりました。
お味噌汁を作るお手伝いもしました。
目玉焼きも作れるようになったし、
ウインナーも焼けるようになりました。
少し時間が経つと、
チャーハンやオムライスの作り方を教えて貰うようになりました。

父のチャーハンが一家全員大好きで、
いつもパラパラで
しょっぱさもちょうど良くて、
かつお節が湯気と一緒に踊っていて、
本当に美味しかった。

母の作るオムライスは、
いつも玉ねぎと人参のみじん切りが入っていて、嫌でした。
途中からピーマンとか入れ出すんですよあの人。

3歳の頃、弟が生まれて、
母が家にいない日がありました。

弟を見て、
当時の私は「にゃんにゃん」と言ったそうです。

にゃんにゃんが産まれてからも母は病院にいなくて、
お産の時期はずっと夜ご飯を父が作ってくれました。
いつもお肉ばっかりで、
全部油っこくて、
当時は多分齢30をすぎた頃だから納得といえば納得だったけれど、
小さな私には毎日重すぎて笑
全然食べられなかったのです。
父は面倒くさくなると市販の冷凍でチキンボーンを買ってきて、
美味しそうに食べていました。

だから土日の朝は私が頑張って作りました。
寝起きの父はいつも機嫌が悪かったし
加えてかなりの食わず嫌いだったので
大変でした。
幸いなことに嫌いな食べ物が私と父は大体一緒でした。

あの頃を振り返ると、
美味しいと言われることも
自分の好きな味に工夫をすることも
いろんな食材に触ること、
調理法を知ること、
全てが楽しかった。

今、一人暮らしをするようになって、
LINEもろくに返さなくなって、
自炊もサボりがちになりました。

できることは増えたのに。
使える食材も増えて、
手際もよくなって、
調理時間も圧倒的に短くなったのに、
私のご飯を食べて「美味しい」と言ってくれる人って身近にいないだけでこんなにもやる気が出ない。
本当に作る気がしないのです。

寂しいです。
多分結婚もまだ先の話だから、
私は私のためにいろいろとお弁当やら作り置きやらを作っている。

でも、21の誕生日、
軽井沢にお世話になっている姉たちと行って、
久々に人のためにご飯を作りました。
私の担当はシチューとカルパッチョだったけれど具材があまり過ぎたのでアスパラのソテーとニンジンシリシリをプラスで、翌朝は完全に寝坊しましたがスープを作りました。

その時に、
「私人参嫌いだったけどこれすごく美味しい」といってもらえて、
「これだ」と思ったのです。

苦手なものや嫌いなものをいかに美味しく食べて貰えるようになるか、
そういうものを考えたり、
発信したりするのもいいかもしれないと
思いました。

もともと料理は料理でひっそりとInstagramをしているのですが、
フィード欄を見ていても
痩せるご飯とか、
太らないご飯とか、
脂肪がもえるご飯、とか
美容のためのレシピが多い印象でした。

でも小さい子供たちが知らないうちに苦手なものを克服できるようなレシピが考案出来たら、
子供の成長や健康を考え続けるママさんたちも楽になるのかなとか、
大人になってからも食べられないものがあって困っている人とか、
そういう人たちの助けになれたらと思いました。

私は音楽からまだ離れないけれど、
もし、この生活を終わりにする覚悟が出来たら
また「美味しい」が広がるように
沢山勉強するんじゃないかなぁ。

もしも、の話なんですけどね。



また次回。

紫野