徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Wind

おはこんばんにちは。
紫野です。

今日の徒然草では、「Wind(風)」をテーマに今後のことを考えてみようかなって思っています。
きっと今回もつらつら長いだけの
取り留めのない記録になると思います。

今後のことと一口に言っても、
正直なところ何も決まっていないし、
何もわかりません。

私には進むべき道などないと思っています。
最初から「これしかない」という人生の選び方はしたくないと思っています。

私の隣には今までも今も、
ギターとピアノとノートがあって、
音楽に生きてきたなぁと思います。
私の人生のほとんどの瞬間が「今」のための、
「紫野」になるまでの材料でした。
きっとこれからも私は音楽から離れられないのかなって思ったりするんですよ。

でも、私も普通の人間だから、
自分の選ぼうとしている道が本当に正しいか、
分かりません。
怖いなぁと思うことも都度都度あります。

私が選びたい道は「正解」と呼ばれる大きなレールでないことはわかっているけれど、確かに
私が音楽を志す出会いときっかけがあったのと同じです。
きっとこれから生きていくうちに、
良くも悪くも訳の分からない出会いや出来事に
出会うと思います。

私にとって理解不能な人
私のことが理解不能な人
何度振り返っても訳の分からない出来事

沢山あると思います。

その時にどう付き合っていくのかな
と楽しみに思っている自分がいます。

そういうショッキングな出来事や出会いに
自分はどう変化していくのだろう。

「順応」する
「反発」する
「類似」する
「肯定」する
「否定」する
「批判」する
「追随」する
「隔離」する

いろんな付き合い方があって、
いろんな対応の仕方がありますね。

私は特に影響を受けやすい人間なので、
誰と出会っても、
何を見ても、
何を言われても、
何を感じても
どの道なにかしらの化学反応が私の中で起こるのだろうと予想します。

振り返ってみると、
いつだか自分が「突っぱねた」人との出会いが
今の私の生き方に何らかの部分で影響していたり、
あの日憧れて、真似をしていた人の影を追わなくなっていたり、
生き方というのは「炎」のようなもので
その時々によって
ゆらゆらして、
とても熱くなって、
急に消え入りそうになって、
不安定です。

心も同じように不安定です。

私はよくメンタルが強いと言われますが、
普通に不安も悩みもちゃんとあるし、
以前のような燃え尽きてプスプスいってることもあるし、
意味のわからないことに腹が立ったり、
急にテンションが上がったりするわけです。

それで、きっと今は音楽っていうものに油が注がれているから、
波はあれど火はずっとその方向に燃えているけれど、
もしかしたら
あるとき風向きが変わるかもしれないなって思います。

私から音楽をとったら、
多分また空っぽになって
毎日メソメソするのだろうけれど、
でもそれを埋める何かに私は出会うかもしれないわけです。

私が音楽終わりにしてもいい
と思える男性に出会って、

もしくは

もうやりきった
もう私は充分やった
ちゃんと「音楽に生きた」

と思える出来事に遭遇して、
その時に私は天秤にかける必要もなく、
違う方向に、風と一緒に動いていくのだと思います。

逆風かもしれないけど
その奥に欲しいものがあったらそれに向かって必死に歩くと思うし、

強風だったら、しんどいけれど
今日は空に雲がなくて青いなぁ
いいなぁ
と思って進むと思います。

今私が歩いているレールの上に吹いている風は
まぁそこそこ、
というかかなり冷たくて
肌が切れるような速さで
痛いなぁと思う時もありますよ。
気温より人の目の方が冷たいから、
東京怖いなぁって思いますよ。
でも、
たまに。

本当なたまに、あったかい春の昼間みたいに
教室の窓際に差し込む心地よくて眠りたくなるような日差しと、
私の大好きなお花の匂いを運んでくれる優しい風に変わります。
ずっと吹かれていたいです。

そのまま気持ちのいい河川敷や草原で

春だなぁ

って思いながら寝たいです。
いい夢を見ていたいです。

そしてそのうち、今度はまた風に起こされて、風と一緒にどこかに進みたい。

風はどこにでも吹きます。
どの方向に向かっても吹きます。
だから多分、私が今歩いてるこの道も、
どうとでもなります。
どうとでもしていきます。
多分、今、この徒然草をご覧になっている貴方
もそうです。

今日は特に決まりが悪いです。
考えていたことを途中で忘れたからなのかな、
治まらないのでここら辺で終わります。
要は、行きたい方向に進みましょう。
ということです。
多分そうです。

ブログですら私のことをまとめるのは難しいです。

またどこかで。

紫野