徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Family

おはこんばんにちは。

紫野です。

 

先日、東京に家族が来ていたので会ってきました。

そこで家族と話したことを少し残そうと思います。

 

実は2021年、4月に再上京して以来、私は実家に一度も帰っていません。

連絡はちょくちょく取っていましたが、それだけでした。

電話も忙しいからできないといって、コミュニケーションを取ろうとしない理由がありました。

 

私は今年、4回生になります。

私自身、学力や能力に秀でたものは特にないですが、頑張らないと入れない大学に来たので、周りはみんな大手企業や起業のために早々に準備を始めているようです。

自分は、グラグラしています。

 

まだ間に合う

 

この一言が、燃え尽き症候群から抜け出そうともがいている自分を現実に引き戻そうとする。

 

本当にそれでいいの?

 

今まで見ないように蓋をしていた不安や焦りが今、なぜかこのタイミングでまた私を脅かしてきます。

あぁ。いやだいやだ。

こっちに来るな。

そんな目で見るな。

何もきかないで。

と怯えている自分がいました。

 

そんなことは痛いほどわかっているからです。

もう3年も経ったのか、早いですが、

私が今の大学に入学するとき、父方の家元が総出でお祝いしてくれました。

ありえないほどのお祝い金を頂きました。

家系の中で一番優秀な大学だと言われました。

母方の家は、慶応も早稲田もいるし、横浜国立もいれば一ツ橋もいて、

無駄に高学歴なので、「別に私は何もすごくない」と思って終わりでした。

でも、よく帰省する父方の家で、すごく喜ばれて、すごく期待されているのが分かりました。

 

「お前は将来何になりたいんだ」

 

と聞かれて、高校生の頃は「歌手になりたい」と言えなかった。

いとこの両親に大笑いされたことがあったから、祖母や、曾祖母や、私のためにとびっきりのご馳走を用意して、喜んでくれた叔母たちに「音楽をしたい」と言えませんでした。

あそこで覚悟を決めて、笑われたとしても伝えていればよかったのかもしれません。

空気が凍り付くことや、自分のプライドが傷つくことが怖くて、「はは」と笑うことしかしなかったあの時の甘さが、今になって私のところに返ってきたと思いました。

 

両親に、「お前、来年は就活だろう。どうするんだ」と聞かれるのが怖くて、去年は家に帰りませんでした。

「もうワンマンもやったし、終わりにしたら?」と言われるのが嫌で、

だから昨日も本当は会いたくなかった。

 

せっかく決めた「音楽に100%自分を懸ける」という決意を、両親に崩されてしまうような気がしました。

これが、私の甘さであり私の弱さです。

 

いつまでも笑われることや、

反対されることや、

理解されないことを怖がっていて、

何も成長していない気がしました。

 

両親から賛同されないだけでこんなにぐらついている情けない自分に気が付いて、

苦しくなりました。

 

でも昨日、月島でもんじゃをつつきながら、「生活大変になると思うよ」と言われて、

それで終わりました。

拍子抜けしました。

あの場にいたからかもしれないですが、

でもやっぱりもしかしたら、

また揉めるかもしれないと冷や汗をかいていたのです。

それ以上は何も言われませんでした。

お世話になっている会社のこと、

ワンマンの時の話、

路上ライブの話、

軽井沢にいった話、

弟の新生活の話、

生活費の打ち分けの話、

父の勤め先の話、

奨学金のこと、

全てが「他愛のない会話」で、

団らんとして終わりました。

久しぶりに4人で食べるご飯はおいしかった。

 

母は最近無地のパーカーを集めているそうです。

弟は、焼肉に行ってもお好み焼き屋さんに行っても絶対に何もしないのは変わっていませんでした。

父は、よくしゃべるようになりました。

相変わらず、運転しながらイライラしていました。

ずっと運転していて、疲れていると言っていました。

 

もんじゃ焼きの作り方を家族全員間違えて、

みんなで笑いました。

下らなくて、緊張して、楽しかった。

両親、今年で48になります。

私は「そろそろ年収がピークになるのか」なんてドロドロしたことを考えながら、

老いていく両親を見て、どうしようと思いました。

 

私が路上ライブしてるって、

音楽とバイトで生計を立ててるって、

両親は胸を張って他の人に言えるのだろうか。

 

路上ライブで警察にとめられるところを見て、

看板を踏まれたり、

アンプをけられたり、

つばを吐かれたり、

酔っぱらいに絡まれたり、

大きな荷物に引きずられてぐったりと帰る自分の姿や、電車の席取り(端っこじゃないと絶対に座れないから)に命をかけ、

死んだように寝て結局乗り過ごし、

2時間近く深夜の誰もいない道を歩いて帰る私を見てどう思うのだろう。

 

 

路上ライブでお金を頂くことを「物乞い」だという人もいます。

物乞い、している私を見て親はどう思うのでしょうか。

 

私は両親に恥ずかしい思いをさせていないでしょうか。

 

今まで自分の人生だから、

両親だろうと口は出さないでほしい。

関係ないだろう。

そう思って、過保護で心配性な親を振り払ってきたけれど、急に顧みるようになりました。

顔が浮かぶようになりました。

 

やっぱりこういうところが「甘い」のでしょうか?

 

結局、自分は覚悟を決めたようで、

何も肝を据えられてはいなくて、

人の目を気にして、

評価を気にして生きているんだと思うのです。

だから就活も迷うし、

不安や焦りに飲まれてしまうのだと思います。

反対されている方がまだ気持ちが楽だったかもしれません。

そんなことに気付いてしまった夜でした。

 

東京で会う時、東京に戻ってくるとき、

父はいつも車で送ってくれます。

私は新幹線でも鈍行でも良いのだけれど

さびしいのだと思います。

離れるようになってから、

お互いの仲がよくなりました。

気軽にLINEが来るようになりました。

正直マジでどうでもいい報告のLINEばっかりです。

でも、小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃、毎日見ていた力強い父がどんどん年を重ねると

帰りを見送る時はいつも不安になります。

運転がすごく上手な父だけど、

ちゃんと休憩はしていくよね?

最近煽り運転すごいし、

事故とかにまきこまれたらどうしよう?

昔は深夜までRPGにのめり込むくらい夜型で

wiiをずっとやっていたのに、

最近の父は22:00には寝てしまう。

でも私を家に送ってくれると

帰路に着くのは22:00なんです。

家に着いたら日付を越しています。

いつも寝ている時間に高速を運転して帰るだなんて心配で心配でなりません。

しかも深夜の高速はトラックが多いし、

煽りも多いし、

父は運転が上手な分、周りの車に厳しくてどこでもすぐにイライラする人なので、

爆発するとやっと解放されたとか言って急に120kmとか出してしまうんですよ。

足がフワッとする感覚、

ほんとに大人になってもヒヤヒヤします。

まじでやめてくれ。

うちは定年したら免許返納するって言ってるのでそこは安心してますが。

 

私も父も短気だし、母は宇宙人だし、八つ当たりしたり、真っ向から口論になって1年以上口を利かなかったりしました。

でもやっぱり、ぶつかっても喧嘩しても、

私には一人ずつしかいない家族だから、

すごく心配で、すごく頭にちらついてくるのです。

音楽に関しては本当に昔から応援してくれない親が私は大嫌いで分かり合えないと思っていたけれど、それでも大人になりきれない私の道しるべだったと思うのです。

 

3年前、ホームシックで両親が車で去っていくたびにメソメソしていた私が、

今は「紫野」として、

「じゃあ、路上行ってくるね」

といって別れを告げられるようになりました。

強がりが9割、慣れが1割でした。

 

紫野