徒然草

紫野は人間味のあるアーティストになりたい

Stand

おはこんばんにちは。
紫野です。

お久しぶりです~。
なんと、ワタクシ、
2週間ぶりのブログ更新です~!!!!!!!
基本的には、なんていうのかな、
「ん?」って思った時や、
嫌なことがあった時、
もしくは自分が音楽をやっていて何かしら自分の心を再認識した時にブログを書くようにしているのです。
今月、いつだったかな、
「Messeage」というタイトルをつけて執筆して以来、
要は私の感情がほとんど動かず(‽)、
安定した毎日を送っていて。

ブログを書こう!
という気にならなかったというのが、
ブログを更新しなかった理由です。
私のこと、忘れちゃいましたか?
わすれんといてな。

それはさておき、つまり、本日、久々に!
心が動きました!
正の方向に動いたのか、
はたまた負の方向に動いたのか、
それについては正直自分でも分かりません。
怒っているわけではないのですが、
かといって、嬉しいことでは絶対になくて、
でも悲しい気持ち、でもないのです。
うむ。
難しいですね~。

多分、「ん?」っていう気持ちが一番かなぁと思います。

それで、今回のテーマなんですが、
タイトルを付けるのがすごく難しくって、
もしかしたらタイトル決まらないままかもしれない、というのが1つ。

それから、さらに、
今回ばかりは先に謝っておこうと思います。
読む人によっては、私の考えがすっと入ってこなかったり、「生意気だ」と思ったりする人がいるかもしれません。
というか、たぶんいます。
ごめんなさい。
でもね、今日のこのブログを読んだ上で、
怒ったり呆れたりするのではなくて、
「自分とは相いれない考え方の人なんだな」と俯瞰して読んでほしいというのが正直なところ。
ついでに、コメント欄に「それは違うでしょ」とか「いやだからね?」みたいなコメントもなるべくお控え頂きたいです。
書いてくれてもいいのですが、たぶん、
埒が明かないと思います。

先にお断りしておくと、
別に他人の意見を受け入れる気がないとかそういうことではないので、
お気を悪くされたら離脱して頂いても全然構いません。
元より、このブログ、
私が私のために書いているブログですので。
ツイートの140文字では書ききれない私の本当の気持ち、
紫野になるまでどんなことがあって、
今の生き方や考え方に繋がったのか、
そういう1つ1つのネジの置き場所がこの「徒然草」というブログなのです。
ヒトの意見を突っぱねたいわけではないけれど、そう捉えてしまう方もいらっしゃるでしょうし、
それはそれで仕方がないことだと思います。
だから、もうこの子無理、と思ったらもう仕方がないです。
なるべく、ひっそりと、
何も言わずに私から離れて下さい。
いちいち応援するのやめるね、
とか言わなくていいですからね〜。
ガラスのハートなので取り扱いにはお気をつけて。

あぁ、前置きが長いのは本当に私の悪い癖だと思います。
早く本題に移らないとですね。

内容が内容なだけに、
正直書きづらいというか、
なるべく角が立たないように言葉を探すのがすごく大変です。
ドストレートに「ボーン!」って書けたらいいのになぁ。
でも、誰かを傷つけたいわけでも怒らせたいわけでもないから、
やっぱり慎重になりますよね。

では、1つ目。

「私は私の思うように、私のために歌う」

私、今日初めて「詞を感じられない」的なことを言われたんですね~。
去年の8月から路上ライブをコツコツやってきて、初めてです。
「紫野ちゃんが歌うと、
本人が歌うよりもスッと入ってくる」とか
そういう風にほめてもらうことが多くて、
だから私も変わらないための変わる努力を怠ったのかなと思う部分もあります。
努力、してないわけがないんですがね。

私は、歌を歌うときは自分の曲でもそうじゃなくても、「自分が一番その曲の世界の中に入る」ということを考えています。
正直、目の前のお客さんの顔色を見る余裕もないくらい。
路上ライブを始めて1カ月ほど経って、
見ず知らずのおばさんに、
「あなたは曲に入り込んでいない」
「うまく歌おうとしてるだけだ」って、
正直わけわからんことを1時間近く説教されたことがあって、
開き直った結果、
やっとできるようになったものです。
そのおばさんの話はまた別の記事でお話しますね。
それで、立ち直ったあと、お客さんの顔を見て歌うということはあまりしなくなりました。
私が曲に入り込むことで、
その姿と歌に人を惹き込んでいきたいから。
「私、上手でしょ?」じゃなくて、
「私の世界に入ってきて」
「私から目を離さないで」
と思って歌っているのです。

世界に入り込むということは、

もちろん歌詞の意味もしっかりと解釈する努力をするということです。
だから、今日「歌詞を感じているように見えない~」みたいなことを言われて、なんかちょっと肩が落ちたというか。
自分で足りないと思う分にはまったく問題のないことではあるけれど、
他人から努力が足りないと言われると、ちょっと、「うん、あー、うん、…はい。」というようななんとも言えない気持ちになってしまうのです。
これに関しては、仕方がないですよね。
その人にはそういう風に感じられたという事実を私に変えることはできませんし。
でも、「歌を届ける」ために毎日している私の努力が、指の痛みが、買って間もないのにすでにすり減って居るギターが、
毎日酷使している喉が可哀想に思えて、
少し負の感情に見舞われてしまいました。
私もまだまだ子供ですね。

その直後に、「私は私の思うように歌いたい」というツイートに対して、「独りよがりだ」というリプライがあって、
それを見て今回ブログを書こうと思いました。

もう一度お断りしておくと、
別にそれを私に伝えてきてくれた人に対して、
怒っているとか、
なんでわかってくれないんだ、とか
そういうことが言いたいのではなくてですね。
私が言いたいのは、
感受性って人それぞれなんだよ、
ということなのです。
それから、露骨な表現しかできなくて本当に申し訳ないのですが、
「私は【あなた】に気に入ってもらうために歌っているわけではない」ということ。
【あなた】には、誰が入るか分かりませんが。
別に今日、改善点?を伝えてきてくれた方に限定しているわけではないので、
本当に「誰にでも」当てはまることなのです。

その人にとっては、
何か足りてない部分があったのでしょう。
直後に出した私のツイートや発言一つ一つが独りよがりに見えたのかもしれません。
でもね、
そうじゃないと思ってくれる人も大多数いるのです。
だから、「独りよがり」という言葉で片付けられるのは気分がよくありませんでした。

それで、もっと大事なことをお伝えしなければ。
何かというと、
「私は私のために歌っている」
ということです。

「自己満足」、という言葉で片付けられてしまったらそれまでなのですが、
私はまず自分を救うため、
認めてあげるため、
ほめてあげるために毎日活動をしています。
自分のこと愛せないに他人にそれを求めるなんて~みたいなドラマのセリフがありますが、
私の活動に関してもそうです。
自分で自分の歌好きじゃないのに。
自分で自分の歌を認めてあげられてないのに。
他人様の心を動かせるか?っていう話なんです。

大前提として、人の心を動かしたければまずは自分の心から。
次いで、目の前にいるたった一人のお客さんから。
そして、遠くにいる誰かの下へ。
ということです。

中には、「誰かのことを救いたい」と、
素敵な考えを持ってやっている人もいますが、
音楽には、そして私自身には、
他人様を救えるような大それた力はありません。
私自身、誰かの手を借りなければ歩いていけないのに、他人様を「救う」「助ける」だなんて、
人様の「ために」なんて、…なんて烏滸がましい…。
そんな上から目線なこと絶対に言えません。
ここで誤解のないように言っておくと、
その、誰かのために、と言っている人に対して上から目線だと思っているのではなくて、
あくまで「私が」、誰かのために、というのは…
というだけです。
考え方や取り組みとして、誰かを支えられるようになりたいと言う意思を持つことはすごく素敵だと思いますし、実際に私の周りにいるので
その人たちを否定している訳ではありません。

他人の前に、
まず自分で自分を好きになれるように、
愛せるように、
明日も生きようと思えるように、
歌を歌うのです。
そこに、たまたま通りがかりのお兄さんお姉さん、ちびっこちゃん、
お父さんお母さんが足を止めてくれて、
自然と輪ができて、
私の唄に価値がつくのです。

そこで言えるのは、人の足が止まるということはやはり、私の歌に何かを感じた結果であるということ。
だから、独りよがりだと言われるとちょっと傷つきます。
一番最初は私のために歌っていたものが、
足を止めてくれる方々によって、
みなさんへ向けた独りよがりではない歌に変わるからです。
まぁ、どんな感想を持つかは人それぞれですし、だから「足りない」のであれば、
それはそうなんでしょう。
ただ、私が一番言いたいのは、
申し訳ないですが、やっぱり私は
「私のために歌っている」
ということなんですね。
イマイチだなぁと思うのはその人の感情であって、それを私に押し付けたり、
わざわざ伝えてくるのは違うというのが正直な気持ち、というか私の考え方です。
多分この時点で賛美両論分かれるのでしょう。

私もよくこのブログを公開しようと思ったなぁ。

それで、さらに過激なことを書いてしまって申し訳ないのですが、
お気を悪くされないでください。

仮に、先ほどと同じ誰でも当てはまる【誰か】が、私にプロデューサーとしてついていて、
私を商品としてお金を稼ぐということをしている人であれば、
文句や好みや指摘を押し付けて下さっても問題はないのですが、
一度お会いしただけで、
私という人間をよく知らず、
投げ銭もせずにケチだけつけるというのは、
はて、いかがなものなのでしょうか?
私に何か言える権利をお持ちではないように思えます。
私に、100円でも、10円でも、なにかしら「お金」+「時間」という対価を払って私の歌に向き合ってくれた人が言ったことなら甘んじて受け入れます。
あ、「投げ銭は絶対しろ!」ってことじゃないんですよ、💦
お気持ちは嬉しいのですが、
お菓子や風船で私のお腹は膨れないし、
利益になることはありません。
私の価値は「お金を出すほどのものにも及ばない」ということなんでしょうが、
それなら、何も言わないで欲しい。
と捻くれ者は思うのです。

人に何かを言えるのは、
相手にそれ相応のものを支払った人だけですよ。
おいしくないラーメンにクレームを入れる人だって、ラーメンにお金を払っているから「まずい」とか「虫が入っている」って言えるのです、おんなじです。
私は、私に対して何か言ってくるだけの他人様たった一人のために、
それまでの自分のスタイルを崩すようなことは断固としてしないし、
これまでも、これからも、
今日も「あなた」のために変わる気も、
「あなた好みの歌」を歌う気もありません。
それで「お前は独りよがりだ」と言われるなら別にそれでいいです、独りよがりを貫きます。
そして独りよがりな私を応援してくれる方々だけを大切にします。
それが、「私は私の思うように歌いたい」というツイートの意味です。
表現が過激になってしまったこと、
心よりお詫びします。
不快にさせていたら、本当にごめんなさい。
回りくどく、包みに包んで書けるように言葉もたくさん探して、磨いて、たくさん書き直したのですが、
結局きちんと伝えるにはどうしたらいいのかなと、
本当に悩んだ結果、批判や注意を受けることを承知で書きました。
ご容赦下さい。

次いで、同じ人に向けて思ったことを綴ります。
いや、これはもしかしたら、無意識のうちに、私も含めて、路上ライブを見る人のほとんどの中にあることかもしれません。
やっぱり、誰にでも該当する【あなた】に向けたメッセージになってしまうのでしょう。

前にYouTubeで某路上出身有名アーティストの動画が軽く炎上しているのを見かけたのがきっかけで、私の中でずっとグルグルしているものでした。

コメント欄を見て、いつもは「意見が割れてて面白いな」くらいにしか思わないのに、
その時だけはすごく複雑で、
でもたぶんこれは「路上ライブをする側」にしかわからぬ気持ちなんだろうなぁと思って、
コメントを打ちかけて辞めたのです。

コメント欄には


「路上ライブを聞いてやってるのに」
「歌ってやってる、みたいな感じがして嫌だ」


と書かれていました。


うーん。
皆さん、路上ライブに足を止める時って、
そんな上から目線なんですね。。。
正直、上から目線ですね~的な意味合いで煽りコメントを脳内で打ってしまって、
自分の性格の悪さを痛感したのですが。。。
あぁ、読者(フォロワー)減りそう~(笑)

ただ、よく考えてみてほしくて。
からしたら、
路上ライブに足を止める人って別に偉くないのです。
ありがたいとは思います。
それは、本当です。
すごくありがたいと思います。
でも、偉くないし、
敬うべき存在でもないし、
私たちが遜ったり、
ぺこぺこご機嫌取りをしなければならない相手でもありません。
同時に、路上ライブをしている私たちも、
おんなじです。
全く偉くないです。
全くすごくないです。
全くもって普通の人間です。

そのコメント欄を見て、私はこう思いました。

「あぁ、私たちって、平等な立場じゃないのかなぁ。」

路上ライブが法的にグレーだからなのか、
それとも売れないミュージシャンに、
全うな職についているある種の優越感や冷やかしなのか、
シンプルに「良い」と思って時間を使ってくれる方ももちろんいるとは思いますが、
どうして路上ライブしているミュージシャンって下に見られがちなんでしょうね?
すごく悲しいです。
誰にも見向きもされない中で、
辛くても闘っていかなければならないから、
足を止めてもらえた時は本当に嬉しくて、
認められたような気がして、
いつの間にか自分の存在がオーディエンスよりも下に格付けされているような気がするのはわかります。
でもね、さっきと同じ話で、
チケットを手に取ってくださっているとか、
投げ銭入れて下さっているとか、
そういうわけでもない人に「聞いてあげてる」って上から目線で言われるのは、
「うーん。(笑)」となってしまいます。

…私がおかしいのでしょうか?
私は路上ライブ、
勉強しに行く時に「聞いてあげてる」
って思ったこと一度もないですけどね。
でもそれは、自分も同じ闘うミュージシャンだからかもしれないしなぁ。
ちょっと私も視野が狭くなっているかもしれません。。。

「独りよがりだ」とおっしゃった方が、
「聞いてくれているとはどういうことが考えなさい」といった趣旨のリプライを送ってきてくださったのですが、
申し訳なくも私的には、やっぱり、
それがただただ上から目線な言葉に見えてしまいました。
「こっちはお前の歌を聞いてやったのに」というニュアンスが感じられたからです。
でもそれなら、黙ってその場から離れればよくない?という話なんですよね。
だって私は「あなた」だけのためのミュージシャンではないし、
あなたのために歌っていないし、
「あなた」のために変わることは未来永劫ないのだから。

聞いてくれた方にお礼を言うのは当たり前ですが、それ以上のことはまぁまた別の話なのです。
ひねくれていてすみません。
路上ライブは、やる側も聞いてくださる側も、「自由」なのです。
自分の求めるものがなかったら自由に離れていいし、
お金を入れるのは強制じゃないし、
大事な時間をこれ以上使えないと思ったらその通りに動けばいいのです。

でもその代わり、
立場は平等であるべき場所だと思います。
どちらも、双方の領域を侵さないことが大前提だと思います。
1つ目にお話ししたことを重複しますが、
何か言いたかったら、文句をつけたいなら、
自分好みの歌を歌ってほしかったら、
それ相応の対価を支払ってくださいね。
ということなんです。
ひろゆきさんみたいに言うと、
「まず、あのーお金を払っちゃってください!そしたら相手はあなたに対してもっと丁寧な扱いをしなければならないなと思うようになるんで、ンは~い、…へっへっへ」です。

すみません、ちょっとふざけましたが、
言いそうでしょ?

よく、「お客様は神様です」と言われますが、人です。いいですか、「人」です。(2回目)
「人」ですよ~。(3回目)
あ、煽ってなんかいませんよ。

「人」対「人」のコミュニケーションの取り方の一つに路上ライブがあると思っていただけるとよいのかなぁと。
だからどちらかの立場が上で、
もう一方が下で、ということはありません。
あれ、これ私のプライドが高いのかなぁ。
ごめんなさい、
見当違いなことだったら本当に申し訳ないです。

今日はなんだか、
過激なことを言いすぎている気がします。
思ったことをスパーンと言い過ぎるのも考えものですね。
なるべくマイルドにお伝え出来ないか、
本当に常々考えているのになぁ。
こういう大事な時にそのトレーニングの成果が活かせていないのが悔しいです。
もっと日本語と人間力、大人力を磨いていきたいと思います。

まとめると、

「文句を言いたいなら、上からの立場で何か言いたいなら、ミュージシャンに対して優位な立場でいたいなら、無一文では相手にされませんよ」ということです。
もちろん、路上ライブに限らず、ね。


そうですね、
最後になりましたがなんとかタイトルが付きそうです。
「立場」という意味で「Stand」なんかどうでしょう?

ちょっと感想が読むのが怖い気持ちもありますが、これで〆たいと思います。

あ、最後にもう一回だけ。
今回の記事でお金の話をしましたが、決して、
見に来るなら「投げ銭してくださいね」ってことではありません。

そして、ここまで読んでくださった皆様の中には、不快になってしまった方もいらっしゃると思います。
十分に文言を検討した結果ではありますが、
重ね重ねお詫びすると同時に、
あらためて私、紫野を応援してくださる全ての皆様にお礼申し上げます。


また次回。

紫野